植田正治写真美術館
梨楽庵







平成7年(1995年)、鳥取県西伯郡岸本町(現在の伯耆町)に、鳥取県が生んだ世界的に有名な写真家植田正治氏の業績を記念して、「植田正治写真美術館」が建設されました。美術館の設計は、島根県出身で国内外の数々の受賞歴のある世界的な建築家高橋伸氏です。高橋伸氏は植田正治写真美術館の建築家として、平成8年度の芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。
世界で評価された二人の才能のコラボによって造られた美術館が鳥取県にあることは、驚くべき出来事です。現地を訪れるとわかりますが、大山の麓ののどかな田園地帯に建設された美術館は、高さを抑え、外観も白色を基調にして、自然の中に溶け込む佇(たたず)まいです。
入館して心を奪われる瞬間は、展示棟の間から「伯耆富士大山」を額縁画として鑑賞する工夫がなされていることです。島根県にある日本一の庭園美を誇る「足立美術館」には、外壁が切り取られた額縁から庭園を眺める趣向があり、来館者を感動させています。おそらくは、美術館の創設者足立全康氏の発想を参考にして取り入れたのではないかと推察します。
館内を進むと、何と大山の額縁画はさらに2カ所設計されているのです。ガラス窓のすぐ外側には、四角い池が造られていて、天気の良い日には「逆さ大山」を楽しむこともできるのです。植田正治氏も高橋伸氏も大山が大好きだったのでしょう。だから、雄大な大山の姿が鳥取県内で最も美しく見える場所を選定し、現在の地に建設を決定されたのではないでしょうか。
デジカメで写真を撮ったりしますが、写真が趣味というほどではありません。プロの写真家の作品の良し悪しを判断するような専門的な知識は全く持ち合わせていません。しかし、カラーではない白黒写真の植田さんの作品を見ていると、なぜか遠い、遠い子供の頃の田舎の情景が思い出されてくるのです。
植田正治写真美術館に関しては、6年前に忘れ得ぬ出来事がありました。よく人生には3つの坂があると言われます。「上り坂」「下り坂」そして、「まさか」です。これからお伝えするお話は、「絶対にあり得ない、ま・さ・か」です。
自宅で夕食を食べていると、妻に電話がかかってきました。電話の主は、中年と思しき男性からでした。「先日、伯耆町にある植田正治写真美術館に出かけたのですが、一期一会という企画展が開かれていたので展示作品を鑑賞していたところ、作品の一つに〇〇さんが写っているようだったので、ご本人は知らないのではないかと思い、お電話をしました。」
一瞬、妻は不審者からの電話でないかと思ったようです。するとすかさず、「あ!私は不審な者ではありません。NHK鳥取放送局に勤めていまして、実は、〇〇さんとは高校1年生の時の同級生なのです。もしかしたら、写真は〇〇さんではないかと思ったので、ご連絡しました。」
妻は高校の同級生だと名乗る彼のことはよく思い出せなかったようです。電話を切ってからこの話を妻から聞き、なんか信じられないけど、確認のために週末に出かけてみようということになりました。
美術館に着き、展示作品を片っ端から一つひとつ調べてみると、セーラー服を着た中学生の女の子が二人、駅の待合席に腰掛けている作品が目に留まりました。「もしかしたら、これじゃないのかな。これ、本当に私なの?」じーっと写真を見つめていた妻は、「私だわ―!鴨中の制服を着ているし、隣は幼友達の□□ちゃんだしー。うっそー!」と、大変な驚きようでした。しかし、作品を見ても、植田正治さんから写真を撮られた当時の記憶は全くよみがえらなかったようでした。
「今の時代なら、植田さんは不審者扱いだよね。でもどういう経緯で二人が撮影の対象になったのか、植田さんに聞いてみたい気がするんだけど、もう他界されているし無理だよね。でも、植田正治さんの目に留まったこと自体がすごいね。約1万2千点の作品の中の2点の作品だからね。美術館に永久保存されるなんてすごいことじゃないか。」
そんな会話をしながら美術館を後にしました。電話連絡をしてくださった妻の同級生に大感謝です。生きていると本当に何があるのかわかりません。でも、これからも何か不思議な出会いがあるのではないかと、未知との遭遇に生きる楽しみを実感した「まさか」でした。
*妻の写真は、『植田正治 小さい伝記』(2008年初版)の口絵P9に掲載されています。
