農家民宿 梨楽庵ブログ

「仁風閣」がお色直し

梨楽庵

        「仁風閣」正面

        「仁風閣」背面

       東郷平八郎 揮毫

    御座所(ござしょ)皇太子使用の家具類

       5灯のシャンデリア

              暖    炉

         御 寝 室

           食   堂

     ベ ラ ン ダ(東 側)

     ベ ラ ン ダ(西 側)

     螺 旋 階 段(1階から)

     螺 旋 階 段(2階から)

     螺 旋 階 段(2階上部)

 戦国時代末期に、毛利方の武将吉川経家(きっかわつねいえ)と羽柴秀吉(はしばひでよし)、後の豊臣秀吉が激戦を繰り返し、歴史の舞台となった場所が鳥取城です。江戸時代になると、鳥取藩主池田家は、徳川家康との姻戚関係から32万石を与えられ、外様大名ながら徳川家から厚遇されたのです。

 鳥取城は、鳥取市のシンボル「久松山」(きゅうしょうざん)の麓に城郭が築かれましたが、明治になり廃城となりました。その城跡に建てられた白亜の洋館が「仁風閣」(じんぷうかく)です。

 「仁風閣」が建てられたのは、明治40年(1907年)です。旧鳥取藩主、第14代池田仲博(なかひろ)侯爵が別邸(別荘)として建築を計画しました。設計を依頼されたのは、宮内省の片山東熊(とうくま)博士です。片山博士は、「迎賓館赤坂離宮」(国宝)「奈良国立博物館」(重要文化財)「京都国立博物館」(重要文化財)「東京国立博物館表慶館」(重要文化財)など、明治を代表する洋風建築を手がけた宮廷建築の第一人者でした。

 明治40年5月、「仁風閣」は皇太子(後の大正天皇)が山陰地方へ行啓(ぎょうけい)された際に宿舎として利用されたのです。「仁風閣」という名は、このとき随行した東郷平八郎海軍大将(後の元帥)が名付け親であり、揮毫した直筆の「仁風閣」の書は、階段を上った2階の正面に掲げられています。仁風の意味は、情け深い思いやりの心を、この建物から発し広めていきたいという意味合いがあるそうです。

 明治42年には、鳥取市が池田家から「仁風閣」の管理を委託され、大正時代には、池田家から鳥取市へ、その後、鳥取市から鳥取県へと引き継がれました。昭和初期には、洋式宴会場や結婚式場として利用されたようです。昭和18年(1943年)には鳥取大地震が発生し、さらには、昭和27年(1952年)には鳥取大火が発生し、鳥取市内が広範囲にわたって被害を受けましたが、幸運にも「仁風閣」は災難を免れることができました。

 昭和48年(1973年)には、「仁風閣」は鳥取県から鳥取市へと譲与され、その年、明治を代表する貴重な建築物として国の重要文化財に指定されました。重要文化財指定の朗報を受け、鳥取市は「仁風閣」を再び、明治時代の姿に再現するために、約2年間をかけて復元修理工事を行いました。昭和51年(1976年)11月3日、文化の日に白亜のルネッサンス風の洋風建築として「仁風閣」は、蘇(よみがえ)りました。そして、この日から一般公開を始めたのです。

 「仁風閣」について調べるきっかけになったのは、「仁風閣」が令和5年12月末で休館し、しかも5年間の長期休館に入ることが報道されたからです。昭和の復元修理から47年が経ち、建物の老朽化が進み、耐震補強工事も含めて、令和の大修理が実施されることが決定していたのです。「ええ!仁風閣を5年間も見学できないの!」久松山の麓は、鳥取城跡を中心に鳥取県立博物館や仁風閣があり、久松公園として整備されてきました。鳥取市の桜の名所の一つでもあります。毎年県立博物館では大きなイベントが企画されるので、年に何回かは久松公園を訪れるのですが、仁風閣に足を運ぶことは数年に1回程度でした。

 休館を知り、見学を決めた最大の理由は、仁風閣が建てられて116年間一度も入室できかなった「御座所」が一週間だけ特別公開されると報道されたからです。最初で最後、工事終了後には、二度と入室はできないと言われると、特別感に包まれ、是非とも見てみたいという気持ちになってしまったのです。

 12月25日月曜日、ワクワクしながらの久しぶり仁風閣訪問、しかも無料見学です。カメラを携え、撮影許可の表示がされている箇所で気に入った所はカメラに収めようと、目をこらしながら見学していて一番驚いたことは、建物の老朽化でした。遠目ではわかりませんでしたが、近づいて見ると、外壁はあちらこちらがはげ落ちています。館内の壁や天井も破れ目がはっきりと見えているのです。令和の大修理の必要性を痛感しました。

 今回の見学で私が心を奪われたものは、1階から2階へ通じる「螺旋(らせん)階段」です。この螺旋階段は、明治時代に作られ、現存しているものとしては「仁風閣」だけ、つまり、国内唯一のものだそうです。「支柱が存在しない螺旋階段」で、当時のもっとも高度な技術で作成されたのです。1階からも眺め、2階からも眺めて見ましたが、ほれぼれするほどの優美な曲線美で設計されていました。ただ上り下りするだけの階段ならば、このような設計はしなかったはずです。芸術品として完成させる意図でつくられたことは明らかです。

 鳥取県の宝物、いや国の宝物の「仁風閣」さん、人間ドックならぬ、建物ドックの中で、ゆっくりと静養してください。そして、5年先の令和10年には、お色直しされた優雅で上品なお姿をお見せ下さい。鳥取県民の一人として、その日が来るのを楽しみにお待ちしています。特別公開最終日の今日は、きっと多くの人が訪れることでしょう。

*翌日(29日)の地元紙の記事には、「休館前日の28日には、長期間見られなくなる館内を見学しようと、通常の約20倍となる1,312人が来館した。(中略)同館によると、御座所を特別公開した22日~28日の1週間で、計7,201人が来館したという。」と、見学者が殺到した様子を伝えていました。「仁風閣さん」、多くの人に見ていただけて良かったですね。では、再び、5年後にお会いしましょう。

*仁風閣が建てられた場所は、扇御殿の跡地なので、扇が「仁義礼智信」の「仁」の風を起こすという意味で名づけられたようです。