農家民宿 梨楽庵ブログ

最後の鳥取藩主 池田慶徳(よしのり)

梨楽庵

 12代鳥取藩主 池田慶徳

 15代将軍 徳川慶喜

 江戸時代の末期、1853年(嘉永6年)ペリーが来航し、幕府が開国の判断を下したことで、日本全国が激動の時代を迎えます。天皇を敬い、外国勢力を打ち負かすという考え方、いわゆる「尊皇攘夷」の考えと、開国を認めたことで国内の混乱を招いた幕府を倒し、新たな国づくりが必要だという考え方、すなわち、「倒幕」の考えとが激しく対立し、考え方の違いは、武力衝突に発展していきました。

 ペリーが来航する直前の1850年(嘉永3年)、鳥取藩主、池田慶栄(よしたか)が急死し、跡継ぎがなかったことから、御三家のひとつ、水戸藩の大名、徳川斉昭(なりあき)の五男、慶徳(よしのり)が幕命により池田家の養子となり、鳥取藩12代藩主になったのです。

 14歳で鳥取藩主となった池田慶徳(よしのり)は、藩校「尚徳館」(しょうとくかん)の改革を手始めに、1855年(安政2年)からは、自分が生まれ育った水戸藩の藩政改革を手本に様々な改革に着手しました。慶徳(よしのり)は、父斉昭が藩主の水戸藩が強硬な「攘夷」の考えを持っていたので、慶徳(よしのり)も攘夷の考えをもとに改革を進めました。

 1856年(安政3年)、水戸藩で反射炉が完成すると、藩士を派遣して学ばせ、瀬戸村(現在の北栄町瀬戸)の武信佐五右衛門(たけのぶさごえもん)の資金をもとに、北栄町六尾(むつお)に2基の反射炉を建造させたのです。

 1858年(安政5年)、鳥取藩は大阪の天保山(てんぽうざん、有名な水族館、海遊館がある場所です)の警備を命じられます。慶徳(よしのり)は外国船の襲来に備え、由良や橋津や赤崎など、鳥取藩内8ヶ所に「御台場」を建設し、大砲を設置したのです。

 1862年~1863年(文久2年~3年)頃になり、幕府と朝廷の対立が深まると、慶徳(よしのり)の悩みはより深くなったのです。その理由は、慶徳(よしのり)と江戸幕府15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)は同い年の異母兄弟であり、将軍慶喜(よしのぶ)は慶徳(よしのり)の弟だったからです。

 慶徳(よしのり)は、将軍職にある弟の立場をないがしろにすることはできません。「攘夷論」ではなく、「尊皇“敬幕”攘夷論」を唱え、幕府を擁護します。尊皇敬幕攘夷とは、天皇を尊重しながらも、幕府も敬い、外国人は排除するという考え方です。当時の情勢から考えると、実現困難な考え方だったのかもしれません。攘夷論を主張していた長州藩は、攘夷論を唱えていた鳥取藩の動向に期待を寄せていたのですが、慶徳(よしのり)はなかなか明確な決断を下しませんでした。

 1863年(文久3年)6月14日、鳥取藩は天保山に入港しようとしたイギリス船に向けて5発の砲撃を行い、攘夷を実行したのです。しかし、大砲の射程距離が短くて、弾丸は届かなかったようです。

 1868年(慶応4年)1月、戊辰戦争が始まると、最初の戦いとなった「鳥羽伏見の戦い」では、薩長両藩以外では鳥取藩兵が最初の参戦をしたのですが、慶徳(よしのり)は弟の将軍慶喜(よしのぶ)を気遣い、倒幕の意思表示を明確にすることはできなかったのです。その後、戊辰戦争が東北地方へ拡大するに伴い、出陣はしたのですが、資金難から十分な戦いはできなかったようです。

 戊辰戦争中に慶徳(よしのり)は病気となり、隠居も考え、悩み続けたようです。結局、戊辰戦争で鳥取藩は大きな成果を残すことはできませんでした。そのため、明治になってからも新政府の中で強い立場で活躍することはできなかったのです。

 1869年(明治2年)、新政府は土地と人民を政府に返すことを決定し、この「版籍奉還」(はんせきほうかん)によって、慶徳(よしのり)は鳥取藩知事となりましたが、鳥取藩が財政難だったこともあり、廃藩置県を明治政府に提案し、廃藩置県の後は、免職し、1877年(明治10年)に肺炎のため41歳で亡くなったのです。

*最後の鳥取藩主池田慶徳(よしのり)や幕末の鳥取藩の動向については、義務教育段階では学習しません。高校でも学習しないと思います。一方、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜のことは教科書に必ず掲載されています。徳川15代将軍の中で、名前が知られているのは、「初代家康」「3代家光」「5代綱吉」「8代吉宗」そして、「慶喜」ではないでしょうか。この慶喜と異母兄弟だったため、幕末の動乱の中で政争に巻き込まれ、日々苦悩した鳥取藩主、池田慶徳(よしのり)には、大名とか、殿様という遠い存在としてではなく、なぜか人間的な親しみを感じるのは、私だけでしょうか。

*参考資料…『特別展 鳥取藩32万石』(鳥取県立博物館)『県史31 鳥取県の歴史』(山川出版社)『国指定史跡 日本百名城 鳥取城跡』(鳥取市教育委員会事務局文化財課)『鳥取県謎解き散歩』(新人物文庫)『鳥取城絵図集』(鳥取県立博物館)