農家民宿 梨楽庵ブログ

伯耆国と出雲国は鉄の一大文化圏②

梨楽庵

奥出雲の有力な鉄師「卜藏(ぼくら)家」庭園です。船通山を借景にしています

国の重要文化的景観の「棚田」です。鉄穴流しが行われた場所が農地として再生されました

鉄師「絲原家(いとはらけ)」の入り口です。広大な敷地に絲原家記念館と絲原家住宅がありました

  絲原家住宅は国の登録有形文化財です

玄関に入り、見上げると巨木の松の梁に圧倒されます

母屋には書院、二の間、三の間と、三間続きの客殿がありました

母屋の書院の間です。10畳あります。落ち着いた雰囲気のある空間でした

絲原家の庭園は、奥出雲の山々を借景とした池泉(ちせん)回遊式出雲流庭園です。国の登録記念物に選定されています。池には見事な鯉がゆったりと泳いでいました

書院前の庭園は、さつきがたくさん植えられていました。5月にはさつきの花が咲きほこり、異なる景色を楽しむことができることでしょう。大灯篭が庭園を引き締める見事なアクセントとなっていました

この門は“御成門(おなりもん)”です。松江藩主が御成の時のために作られた門です。

  御成門のすぐ隣には、二間続きの客殿がありました

書院は8畳間でした。違い棚と床の間が母屋とは左右が反対に設えてありました

御成門を出ると、右手に林間散策路“洗心乃路”がありました。山野草や茶花などが植栽されていて、四季折々に楽しめる趣向がこらされていました。京都の大徳寺真珠庵を参考にして建てられた茶室“庭玉軒(ていぎょくけん)”もありました

散策しながら、奥出雲の鉄師の日本文化への関心の深さに感服するばかりでした

天然記念物の「鬼の舌震(したぶるい)」です。巨岩がゴロゴロ転がっていました

こんな景色はいままで一度も見たことがありませんでした

これが“鬼の落涙岩(らくるいいわ)”です。2つの甌穴(おうけつ)が目のように見えて、その間を水が流れる様子が鬼が涙を流しているように見えるので、このように呼ばれています

これが“恋吊橋”です。高さ45m、長さ160mです。私には渡れません!

恐る恐る谷底の写真を撮って、恐る恐る引き返しました。無事でした

2013年に観光用として作られたようです。ほとんどの人が平気そうに渡っていました

 11月12日(火)快晴の下、たたら探求第3回リベンジの旅が始まりました。以前、大山の紅葉狩りに出かけた時に朝採れの新鮮なキャベツをいただいたことをブログで紹介しました。何とか機会を見つけて返礼したいと思っていましたので、再度、蒜山に立ち寄ってから奥出雲に向かうこと決めました。

 蒜山に到着すると、ダメもとでキャベツ畑に車を走らせました。嬉しいことに、ご家族でキャベツ畑の片づけ作業をされていました。「先日はキャベツをいただきありがとうございました。美味しかったですよ」と、大きな声でお礼を言うと、「美味しかったかえ。よかったね」と、おばさんは満面の笑顔で応えてくださいました。「これ、王秋(おうしゅう)という梨です。私が栽培した梨です。わずかですが、食べてください」息子さんに王秋を手渡すと、おばさんは再び笑顔で応えてくださいました。

 蒜山からは前回通った道順をひたすら走り続けました。今日の目的地は奥出雲なので、日野町でのオシドリ観察も近藤家の外観撮影も取りやめました。一人ドライブなので安全運転を第一に心がけ、切り立つ山々に囲まれた日野川沿いの国道を通り、日南町の矢戸で右折してからは県道の山道を出雲横田方面に向かって走り続けました。

 奥出雲に入ると、追谷(おいだに)集落に立ち寄りました。ここには有力なたたら経営者だったト藏(ぼくら)家の庭園が保存されていたからです。船通(せんつう)山を借景とする江戸時代初期の日本庭園です。「ト藏」家?初めて見るこの文字は読めませんでした。驚くことに、ト藏家の先祖は楠木正成まで遡ることができるそうです。現在、建物は残っていませんが、奥出雲のこの地で約500年間、たたら製鉄に従事した鉄師でした。

 追谷集落には、国の重要文化的景観に選定された「棚田(たなだ)」が残されています。この場所は、鉄穴流しによって削り取られた土地を、鉄穴流しに使われた「水路」を灌漑用水として活用し、棚田の農地として再生させた場所なのです。

 文化的景観に選定された場所には展望台が設置されていて、前回も、この展望台から、谷下に向けて緩やかに広がる棚田を眺めました。日本の原風景を懐かしむことができる穏やかな風景からは、打鍬(うちぐわ)を使って山を切り崩した鉄穴流しの重労働に携わった人たちの面影を想像することはできませんでした。

 昼時は過ぎていましたが、時間が惜しくて「奥出雲たたらと刀剣館」の再訪に向かいました。前回のSDカードのデーターは再生できませんが、二度目なので、要領よく見学しデジカメで情報収集することができました。今回の最大の収穫は、たたら製鉄の発掘調査に基づいた最新の研究成果がまとめられた2冊の著書を購入できたことです。受付窓口のすぐ横に置かれていたにも関わらず、前回訪問時は全く気が付きませんでした。「求めよ、さらば与えられん!」ですね。

 その次は、絲原家記念館と絲原家住宅を再度見学しました。刀剣館と同じく、記念館でも情報収集を手際よく行うことができました。平日だったので見学者は私ひとりでした。邸宅内の大広間や書院、庭園も撮影しながらゆっくりと見て回ることができました。紅葉も4日前よりも色鮮やかで見応え十分でした。

 絲原記念館から車で20分ほどの所に、国の名勝、天然記念物の「鬼の舌震(したぶるい)」という観光名所があります。前回は時間的に無理でしたが、今回は立ち寄ることにしました。鬼の舌震一帯は、黒雲母花崗岩地帯です。斐伊(ひい)川の支流が長い年月をかけて浸食した深いV字の峡谷が続いています。

 絶壁に沿っておよそ2㎞の遊歩道が整備されていました。2013年に高さ45m、長さ160mの「舌震“恋”吊橋」が造られ、観光スポットとなっているようでした。高所恐怖症?の私は、写真撮影だけして遊歩道を下っていきました。

 遊歩道は絶壁に張り付くように鉄骨を組み立てて造られていました。「よくぞまあ、こんな所に遊歩道を造ったなあ」と驚くばかりでした。谷川は急流がゴーという音とともに流れ、谷底には巨大な岩石がゴロンゴロンと折り重なって散らばっていました。見たこともないような巨石が連なる景観は言葉で表現することは非常に困難です。遊歩道はまだまだ先まで続いていましたが、帰宅時間が気になったので、無理をしないで引き返し、帰路につくことにしました。

 今回は明るいうちに帰宅することができました。たたら製鉄に関する学びが深まり、関係資料も十分に収集できたので大満足でした。しかし、11月4日に初訪問した和鋼博物館のデジカメデーターも再生できませんので、時機を見て再訪することにしました。次回ブログは、第4回たたら探求の旅の報告です。お付き合いいただきますように、お願いいたします。