伯耆国と出雲国は鉄の一大文化圏③
梨楽庵

立ち並ぶ田部家の土蔵群です。圧倒されました

奥に見えるのが田部家の大邸宅です。両側にも土蔵が立ち並んでいます。土蔵は全部で14棟あるそうです

石段を上ると田部家です。私邸なので一般公開はされていません

見事な枝ぶりの枝垂桜でした。満開の時に眺めてみたいです

坂道に沿って町並みが整備されていました。しばらく歩くと、「鉄の歴史博物館」が左手に見えてきます

菅谷(すがや)たたら山内(さんない)の高殿です。田部家のたたら操業の中心的な建物です

日本で唯一現存しているたたら製鉄の施設です。国の重要有形文化財です

中に入ると江戸時代にタイムスリップしてしまいます

たたら製鉄に従事した人たちが一つの集落を形成していました。右手奥が高殿です

正面の建物が「可部屋集成館」です。桜井家の記念館です

渓谷沿いの地形のために、横に長い大邸宅でした

桜井家の正面からの写真です。鉄師御三家の風格が漂っていました

手前の書院の間から玄関方向を撮影しました

松江藩主“不昧公”が御成の時に作庭された庭園です

“岩浪(がんろう)の庭”の右側半分を撮影しました

渓流沿いにはモミジがたくさん植えられていました

庭園見学だけで訪れる観光客の方もいました

奥出雲ではなく、京都の紅葉の名所にいるような感じがしました

桜井家の建物も多くが国の重要文化財に指定されています

帰路、鬼の舌震に立ち寄りました。自然の力はすごいです

閉園間近だったので、観光客はほとんどいませんでした

「舌震“恋”吊橋」を妻はスタスタと渡っていました
11月18日(月)朝から小雨模様でしたが、たたら探求第4回リベンジの旅に出かけることにしました。この日の目的地は安来市にある「和鋼博物館」でした。博物館ですから、雨でも見学できます。再生できないSDカードは諦めて、再度の取材に意気揚々と出発しました。
やはり、二回目の訪問は事がスムーズに運びます。道順も間違えませんし、手際よく取材することができました。入館直後には、受付の職員さんにお願いして、日本刀を構えた姿をデジカメで撮影していただきました。日本刀の原料となる「玉鋼(たまはがね)」を手のひらにのせて持つと、前回よりもずっしりと重く感じました。パネル写真や展示資料等をデジカメに収めましたが、本当で撮影できているのかな?と心の中は、やや不安でした。和鋼博物館で取材を終えると、この日は真っ直ぐに帰宅しました。
実は、たたら探求第2回の旅を終えた時、妻から要望がありました。「絲原家住宅を見学したら、あまりのすごさに驚いたわ。松江藩鉄師御三家のあと二つ、田部(たなべ)家と桜井家も是非見学したいわ」私も同感でした。早速、週間天気予報を確認し、11月20日(火)に出かけることに決めました。当日は、真っ青な青空が広がり、絶好の行楽日和でした。
午前8時40分、写真でしか見たことのない田部家土蔵群を最初の見学先に決めました。梨楽庵からは約3分で山陰自動車道に乗り入れることができます。松江方面に向けてひた走り、宍道(しんじ)JCTで左折して松江自動車道を広島方面へ進みます。雲南吉田ICを下りて、道の駅「たたらば壱番館」で休憩しました。約2時間15分のドライブでした。
道の駅の観光案内窓口で説明を受け、パンフレットをもらいました。『鉄学の旅へ』、パンフレットの表紙のタイトルが秀逸でした。10分程度車を走らせると、田部家土蔵群に到着しました。立ち並ぶ土蔵群に圧倒されながら、田部家の私邸の玄関先まで足を運びました。残念ながら私邸の一般公開はされていませんでしたが、玄関前の右手に植えられていた枝垂桜の見事な枝ぶりと存在感は、田部家の風格を表しているように感じました。
田部家土蔵群の前の緩やかな坂道は、坂道に沿って町並みが整備されていて、落ち着いた雰囲気が醸し出されていました。平日だったので人影も少なく、写真撮影するには絶好のタイミングでした。しばらく坂道を登っていると、左手に「鉄の歴史博物館」があり、見学しました。ここにもたたら製鉄関係の資料がたくさん展示されていました。
一番印象に残ったのは、昭和44年(1969年)に、たたら操業を復元した際の記録映画「和鋼風土記」でした。「和鋼博物館」や「奥出雲たたらと刀剣館」でも映像資料を視聴し大変参考になりましたが、上映時間30分余りのこの記録映画は胸に迫りくるものがありました。今から55年前の作品です。たたらに従事した熟練の職人たちが後世に残すためにと、最後の力を振り絞って撮影に臨んだ意気込みが画面を通してヒシヒシと伝わってきました。
次の見学地は、「菅谷(すがや)たたら山内(さんない)」でした。この地に残された「高殿(たかどの)」は、田部家がたたらを操業する際の中心的な建物でした。たたら製鉄が衰退してからも木炭倉庫などに利用されていたので、操業当時のままの姿で奇跡的に保存されてきました。現在、日本で唯一現存しているたたら製鉄の施設であり、国の重要有形文化財に指定されています。
写真を見てもおわかりだと思います。高殿はどっしりとした趣きのある建物でした。中に入ると、江戸時代の空気感に包まれるような感覚がしました。中央部のたたら炉を守るように建てられた4本の巨木の柱は、防火対策として長い板が張り付けてあり、柱の本体に延焼しない工夫がなされていました。天井の側面も土壁が施され、細心の安全対策がなされていました。高殿見学後は、周辺の施設を見学し、帰路は高台から菅谷の集落を眺め、たたら操業時に思いを馳せました。
菅谷を出発すると、県道272号線を戻り、吉田中学校前で左折し、県道38号線を奥出雲町に向かって走ります。国道432号線で右折し、しばらくすると桜井家住宅及び可部屋(かべや)集成館に到着しました。ここは奥出雲の中でも最も奥地で広島県の県境近くにありました。
可部屋とは桜井家の屋号のことです。集成館には鉄師桜井家に伝えられてきた書画や茶器などの美術工芸品が多数展示されていました。桜井家は松江藩の信頼が厚く、歴代の当主が“鉄師頭取”の重責を務めていました。桜井家には大名茶人“不昧公(ふまいこう)”として有名な、第7代藩主松平治郷(はるさと)公を皮切りに、歴代の藩主が6回も“御成(おなり)”されたので、藩主をもてなすための調度品も残され展示されていました。
松江藩御三家の中でも、特筆すべきことは、桜井家は普通の鉄だけでなく、“鉄砲地鉄”を製造していたことです。大坂の堺の鉄砲鍛冶問屋から鉄砲地鉄の注文を受けていた文書も展示されていて驚きました。鉄砲の製造方法の説明書きもあり、新鮮な感動を覚えました。展示品をじっくりと見ていると時間がかかりますので、必要な資料を撮影し、国の重要文化財に指定されている桜井家住宅を見学することにしました。
桜井家住宅の敷地内は広大で、風格のある家構えに圧倒されました。特に、享和3年(1803年)に藩主“不昧公”が“御成”のときにつくられた日本庭園は見事でした。説明によると、藩主御成の特別企画として、上流から水路で水を引き、庭の背後の斜面の上部から水を落とし、滝を演出したそうです。不昧公は大変喜ばれ、滝を“岩浪(がんろう)”と名付けられたそうです。それゆえ、この庭園は「岩浪の庭」と呼ばれています。
名庭園にも負けず劣らず人々を感動させるのが、紅葉の美しさです。邸宅内や周辺には色鮮やかな紅葉が降り注いでいました。邸宅の直ぐそばを澄み切った渓流が音を立てて流れています。その渓流沿いにも大きな紅葉の木が、赤や黄色や緑の色模様で衣替えをして、私たちを楽しませてくれました。
「この雰囲気は何か京都に来ているようだなあ。ここは嵐山かなあ、それとも神護寺のある高雄(高尾)辺りかなあ…」そんなことを思いながら紅葉に見とれていると、カメラを手にしたおばさまが声をかけてきました。「きれいでしょう!」「はい!すごくきれいです!」「実はね、ここの紅葉は京都から運んで植えられたんですよ」「えっ!本当ですか!」「私は地元に住んでいるので、この時期には紅葉を見に来るんですよ」自宅に戻ってからパンフレットを読むと「庭の下を流れる渓流の両岸の紅葉は、5代の家内が輿入りの際、京都より移したものです」と記載されていました。しかも、京都の場所はというと、“高雄”だったのです。“おったまげる”とは、きっとこのようなことをいうのでしょう。
桜井家見学は、たたら製鉄の資料の収集と学びが主目的でしたが、運よく紅葉のベストシーズンと重なって、予想外のプレゼントをいただいた気持ちがして、幸福感に満たされた思い出に残る時間となりました。
時計を見ると、午後3時半を回っていました。安全に帰宅するためには、そろそろ帰ろうかな、と妻に話すと、「鬼の舌震に行けないかな?高所恐怖症のあなたが渡れなかった橋を渡りたいんだけど…」と言うのです。来年になって温かくなってから再訪しようかな、とも考えましたが、鬼の舌震に来るには約3時間かかります。「うーん。わかったよ。一度行ってるから、時間短縮での観光になるけど、いい?」「うん、いいよ」
時間が時間なので、鬼の舌震には観光客はほとんどいませんでした。高さ45m、長さ160mの「舌震“恋”吊橋」に到着すると、妻はスタスタと吊橋を前に進み、真ん中付近で渓流の写真を撮影しています。撮影後も前進、前進あるのみ。渡り切ろうとしています。「おーい!戻ってきてよ!もう時間がないから、渡り切ると遅くなるよ!」渡ることができない弱気の心を、時間のせいにしてごまかしている自分が、なぜかとても情けなかったのです。
鬼の舌震の遊歩道は全長約2㎞もあるのですが、前回私が歩いた道を短縮して散策しました。切り立つ絶壁とゴーゴーと流れる谷川の音、鬼なのか、ゴジラなのか、怪腕を振り回して投げ捨てられたように折り重なる巨岩や奇岩の姿は、確かにここでしか見ることができない景観でした。
午後6時20分ごろ、何とか無事に帰宅することができました。米子付近を通過するころは、もう日が落ちていました。とにかく安全第一で運転を心がけました。お父さんもお母さんもなかなか帰ってこないので、真っ暗闇の中庭にいた梨梨ちゃん、さみしくさせてごめんなさい!梨梨ちゃんはお母さんとの遅い散歩となりました。
