農家民宿 梨楽庵ブログ

伯耆国の鉄山師

梨楽庵

鳥取県の中部を流れる天神川です。この上流部でも砂鉄の採集がさかんに行われていました

穏やかな冬の日、東郷湖にやってきた、たくさんの冬鳥が羽を休めていました。対岸には東郷温泉、山の奥には、三朝温泉があります

岸辺に近寄ると、危険を察知するのか、湖の真ん中に逃げていきます

マガモが湖を眺めています。何を見ているのかなあ…。頭と首が緑色をしているのがオスです

 私の足音に危険を感じて飛び去ってしまいました

 鳥取県では、たたら製鉄の一大産地は伯耆国が中心地でした。最もさかんだったのが、日野川上流部の日野谷と呼ばれた地域です。日野川上流部の左岸では良質の真砂砂鉄が産出され、特に日南町印賀(いんが)で採取された真砂砂鉄から作られる鋼は、印賀鋼(いんがはがね)と呼ばれたブランド品でした。

 日野川流域のたたら製鉄の歴史は古く、鉄山師としては、印賀の古都(ふるいち)家、日南町阿毘縁(あびれ)の木下家と法橋家、大宮の青砥(あおと)家、日野町黒坂の緒方家、日南町生山の段塚家、根雨の手嶋家が知られているようです。

 なかでも、1700年代に備後国(広島県東部)から根雨に移住した近藤家の分家の「下備後屋」は1779年(安政8年)から1921年(大正10年)まで、143年もの間、6代にわたって鉄山経営を行っていました。幕末から明治にかけて事業を拡大した、5代目の近藤喜八郎の時が最盛期だったようです。

 鳥取県の中部を流れる天神川流域でもたたら製鉄は行われていました。鉄山師としては、三朝町穴鴨の安田家、木地山の石原家が知られています。三朝町誌によれば、三朝町内の多くの集落からたたら関連の遺跡が発見されているようです。

 たたら製鉄では「鉄穴流し」によって砂鉄を採集します。そのために大量の土砂が天神川に流出します。いささか大げさかもしれませんが、三朝の鉄穴流しで北条平野の美田ができたと話した古老がいたそうです。

 古老の言い伝えの真偽のほどは定かではありませんが、それぐらい膨大な量の土砂が流れ出たため、鳥取藩の指示として、春の彼岸から秋の彼岸まではたたら製鉄は禁止されていました。

 しかしながら、半年の禁止期間は鉄山経営にとっても大きな痛手であり、禁止期間が守られず、天神川下流部の農民との間でトラブルが生じていたようです。

 現在の倉吉市関金町(旧関金町)でも約40ヶ所のたたら製鉄の遺構が確認されているそうです。また、旧大栄町誌によると、下種には鉄山があり、幕末から明治の初期におよそ500人が操業に携わっていたそうです。

 天神川の支流の小鴨川の上流部でも、たたら製鉄がさかんに行われていました。倉吉市上小鴨の広瀬地区には、鉄穴谷、釜床などの字(あざ)名があり、鉄くずがたくさん発見されているそうです。さらには、倉吉市高城地区や北谷地区にもたたら関係の遺跡が発見されているそうです。

 伯耆国に関しては、日野郡の鉄山師、近藤家の住宅が県の指定保護文化財(非公開)として残り、「たたらの楽校(がっこう)根雨楽舎」があり、たたら製鉄の面影をしのぶことができます。

 鳥取県中部地区に関しては、常設の施設はないようです。今のところ、たたら製鉄について深く学ぶには、安来市の和鋼博物館と島根県奥出雲町と雲南市にある関連施設が最も充実しています。