鳥取城の復元整備って何ですか?
梨楽庵

鳥取市のシンボル「久松山(きゅうしょうざん)」の山麓には、江戸時代には鳥取城がありました
国内旅行を計画したとき、みなさんは旅行先にどの都道府県を選びますか?各種のランキング調査によると、北海道と沖縄県が1位か2位のようです。旅行先の都市では、東京、京都、大阪が上位を占めるようです。3都市はディズニーやUSJをはじめ、観光名所が目白押しだからです。
大規模なテーマパークを除くと、観光の目的地には、世界遺産、日本遺産、国立公園など、誰もが知っている有名ブランド?先を選択するのではないでしょうか。近年では、お城ブームも後押しし、全国各地のお城には訪日客も含めて観光客が押し寄せています。
中国地方の5県に目を向けると、岡山県には岡山城、広島県には広島城や福山城、山口県には岩国城、島根県には松江城(国宝)があり、いずれも観光名所となっています。しかし、鳥取県には、現在お城はありません。
江戸時代には、現在の鳥取県の範囲は、池田光仲を初代藩主とする池田家が鳥取藩を治めており、現在の鳥取市には池田家32万石の大大名に相応しいお城がありました。現在の米子市にもお城があり、池田家の家老、荒尾但馬守が城代として居城していました。

山頂には2層の天守がありましたが、元禄5年(1692年)、落雷によって焼失しました。その後、再建はされませんでした「鳥取城破損御修覆願図(天和3年、1683年)」鳥取県立博物館蔵

「米子城石垣御修復御願絵図(寛文7年)1667年」鳥取県立博物館蔵
2022年(令和4年)の元日に放送されたNHK「日本最強の城スペシャル第10弾~一度は行きたい絶景の城~」において、米子城は最強の城に選出されました。お城はありませんが、山頂からの眺めは「これこそ絶景!」です。今も最高の絶景を見ることができるお城として全国的な人気となっています。天守まではおよそ15分で到着します
ところが、明治維新となり、1873年(明治6年)に新政府から廃城令が出され、西南戦争が終わり国内の治安が安定すると、鳥取城の建物の大部分は撤去されたのです。米子城も石垣を残して建物は取り壊されました。明治新政府の立場からすると、旧藩主の居城であった城は反政府の拠点ととらえられ、陸軍の施設として再利用の必要性がない城は廃棄の対象となったのです。
江戸時代の末期には、全国の諸藩も財政難でした。明治になってからも新政府の財政は豊かではありませんでした。お城は巨大な建造物であり、維持管理するには莫大な費用がかかります。明治新政府は軍事的な視点から転用の必要性がないものは処分の対象としたのです。
廃城令によってほとんどの城が処分されましたが、陸軍の軍事使用のために存続した城もありました。東京城(江戸城)、仙台城、名古屋城、大阪城、広島城、熊本城など40近くの城が残されたそうです。
しかし、存続した城も広い軍用地の確保のために堀が埋められ、石垣や城郭建造物が取り壊された場合も多かったようです。さらには、太平洋戦争時の空襲により被災し、天守や本丸御殿、櫓や城門等が焼失してしまったお城もたくさんありました。
日本国内にあった貴重な文化財は、戦前、戦中、戦後の社会的経済的な激動の中で荒廃の危機を迎えました。そのような社会状況の中、1949年(昭和24年)1月26日、奈良の法隆寺で火災が発生し、世界最古の木造建築物の金堂壁画が焼失したのです。
この事件は当時の国民に強烈な衝撃を与えました。さらには、同年、7月には、京都の金閣寺が焼失する事件が発生しました。これらの出来事がきっかけとなり、文化財保護の国民的な機運が高まり、1950年(昭和25年)5月に「文化財保護法」が制定されたのです。
文化財保護法においては、国内の現存する12天守のうち、姫路城(兵庫県)彦根城(滋賀県)松本城(長野県)松江城(島根県)犬山城(愛知県)の5つの城が国宝に指定されています。重要文化財には、弘前城(青森県)丸岡城(福井県)備中松山城(岡山県)丸亀城(香川県)松山城(愛媛県)宇和島城(愛媛県)高知城(高知県)の7つの城が指定されています。
さて、前置きが長くなりましたが、世界中で猛威を振るったコロナ感染症が収束し、円安ドル高の経済状況の中で、世界中から日本を観光目的にやってくる訪日客が激増しています。また、日本人の国内旅行も活発になっています。
近年の社会情勢では、東京一極集中を是正する対策の一つとして、地方創生が叫ばれ、観光産業が注目を浴びています。しかし、これまでのような首都圏や大都市や有名な観光地への観光客誘致ではなく、中小の地方都市へと観光客を呼び込む新たな観光の取り組みです。
全国の地方自治体では観光産業と連携し、地域の魅力の再発見や掘り起こしに取り組み、移住政策にも力を入れ、地域の活性化対策に懸命です。このような地方への観光客誘致の中で注目を浴びているのが、「お城ブーム」に後押しされた観光開発です。
新たな観光開発の前に、廃城令以後の鳥取城の変遷の様子を紹介します。前述のように廃城令以後は、陸軍の施設として建物の多くは再利用されましたが、国内の治安が安定し、陸軍の撤退が決定すると、1879年(明治12年)には、鳥取城のシンボルであった“二の丸三階櫓”を含め、建物のほぼ全てが解体撤去されました。
その後、城跡は“三の丸”や“籾蔵(もみぐら)跡”が学校用地として転用され、“扇御殿(おうぎごてん)”には「仁風閣」が建設されました。大正時代になると、旧藩主の鳥取池田家によって「久松公園」が整備され、鳥取市民の憩いの場所となっていました。
ところが、1943年(昭和18年)9月10日、震度6の鳥取大地震が発生し、市街地が広範囲に被災し、人的被害も大規模でした。鳥取城跡も石垣が崩落するなど、大きな被害を受けました。旧藩主の鳥取池田家は、震災復興に向けて立ち向かう鳥取市民を勇気づけるために、震災の翌年、鳥取城跡を鳥取市に寄贈したのです。
1957年(昭和32年)、鳥取城跡は国の指定史跡に選定されました。これを契機に、鳥取市は石垣の修理を中心に城跡の修理保存と活用に取り組んできています。江戸時代には32万石の大藩であった鳥取城の姿を後世に伝えるために、2005年(平成17年)に鳥取城の復元整備基本計画を策定しました。整備計画には、二の丸三階櫓の復元も検討されています。
まず第一段階として、城の正面玄関にあたる「大手登城路」の復元整備が取り組まれてきました。2018年(平成30年)には、城内へ通じる“擬宝珠(ぎぼし)橋” が完成し、121年ぶりによみがえりました。橋長約37m(幅6m)の城郭復元木造橋は、文化庁が認めた日本一の長さを誇ります。

橋の長さは約37m、幅6m、城郭復元木造橋では日本一の長さです

「擬宝珠(ぎぼし)」は、伝統的な建築物の装飾のひとつです。神社や寺院、橋などの手すりの柱の上に取り付けられています
2021年(令和3年)には、擬宝珠橋を渡り終えて登城する際、城の大手門にあたる「中ノ御門“表門”(なかのごもんおもてもん)」が完成しました。そして、今年(令和7年)3月には、「中ノ御門“渡櫓門”(なかのごもんわたりやぐらもん)」の復元が完成しました。
「中ノ御門」は“表門(おもてもん)”と“渡櫓門(わたりやぐらもん)”の2つで構成されています。1621年に創建され、1720年の大火で焼失し、その後再建されましたが、廃城令が出された2年後の、1875年(明治8年)に取り壊されていました。

擬宝珠橋を渡り終えると、中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)が迎えてくれます

中ノ御門表門の反対側からの景観です
“渡櫓門”は石垣の間に築かれた門の上に櫓(やぐら)がある構造をしています。外敵を迎え撃つ機能を備えた防御施設だったようです。復元にあたっては、創建当時の城郭建築の技法を駆使して復元されました。

石と木材と白壁と瓦屋根だけのシンプルな構造物なのに、城郭建築物からは何とも言えない“風格”が感じられるのはなぜでしょうか
新聞報道によると、鳥取市文化財課の岡垣頼和主任(建築技師)は「100年後に重要文化財になるぐらいの意気込みで復元に取り組みました。市民や観光客の皆さんに本物の江戸時代の建造物を体感してもらえます」と胸を張って話されていたようです。“渡櫓門”の一般公開は、9月に開催される「鳥取32万石お城まつり」に予定されているようです。
4月の初めに中の御門の復元工事が完成したニュースを知りながら、農繁期と農家民宿の受け入れが重なり、現地に出かける機会をなかなか見出すことができませんでしたが、5月の初旬の快晴の日に現地を訪ねました。
これまでに数回、擬宝珠橋を渡り、表門を通り抜けたことはありましたが、改めて、橋と門が生み出す景観から江戸時代の雰囲気を感じ取ることができました。
表門を通り抜け、中央部に立ち止まり周囲を見渡すと、表門と渡櫓門と巨大な石垣がここでしか見ることのできない空間を演出しているのです。巧みに組み合わされた自然石の石垣と純白の白壁と真っ青な青空を眺めていると、何とも言えない居心地の良さが感じられるのです。

江戸時代にタイムスリップしたような感覚に陥ります

門扉(もんぴ)が開いていたので開放感がありましたが、閉まっていたら「門前払い」の圧迫感を感じただろうと思います
話を新たな観光開発にもどします。鳥取城の復元整備計画では、“太鼓御門(たいこごもん)”と“二の丸三階櫓”の復元が検討されています。完成までにはかなりの時間を要するかもしれませんが、実現できることを切に願っています。
ヨーロッパなどの古城でもそうですが、歴史的建造物としての“城”は観光の目玉商品であり、絶大な集客力を持っています。奇抜なデザインで博物館や美術館や水族館等を建設しても、一過性のブームで終わってしまうことがよくあります。しかし、それ自体が美術品であり文化財でもある城には、何度でも訪れたくなる魅力が凝縮しているのです。(注1)

赤丸のところが「中ノ御門」です「鳥取城修復願図(延宝8年、1680年)」鳥取県立博物館蔵

絵図のおかげで復元整備も可能になったのです

今後の復元整備計画です。完成するのが待ち遠しいですね
鳥取城跡は戦国の世から現在までおよそ500年以上にわたる歴史が積み重なっている貴重な空間なのです。3年後の2028年(令和10年)度には現在修復工事中の「仁風閣」(重要文化財)がリニューアルオープンします。

二の丸からの眺めです。「仁風閣」の修復工事も順調のようです
「砂の美術館」の知名度が高まったことで、鳥取砂丘と相乗効果を発揮し、鳥取砂丘周辺は今後も県内の一大観光地となり続けることでしょう。私は、鳥取城の復元整備が完成すれば、鳥取市内観光の起爆剤となり、「仁風閣」や「鳥取県立博物館」を含めた「鳥取のお城めぐり」観光は一大ブームとなり、一過性で終わることはなく、永続していくと確信しています。
鳥取駅周辺の再開発事業の協議も継続中です。駅周辺の再開発が完成し、鳥取城の復元整備が完成すると、昭和の頃と比べると、商店街の活気が失われている「若桜街道商店街」は駅と城の2か所をつなぐ「歩いて見たくなる商店街」として活気を取り戻すのではないかと夢想しています。いや、この夢想は実現可能だと信じています。
(注1)全国城郭管理者協議会によると、全国の主な約50のお城の昨年度の入場者数は合計約2080万人で、過去7年間で最多だったようです。訪日外国人観光客の入場者数も伸びているからでしょう。
