弓ヶ浜半島誕生物語①
梨楽庵

大山からの眺望です。中央部が弓ヶ浜半島、奥に見える山並みが島根半島です
令和6年(2024年)は辰年でした。県は、鳥取県の形が竜の形をしていると読み取り、「角を生やした竜が西に頭を向けている」と意味づけ、さらには、「鳥取は竜の化身だから辰年の今年、鳥取県は“とっとリュウ県”になりました」と宣言しました。

令和6年辰年は、鳥取県はとっとリュウ県でした?
平井伸治鳥取県知事は、「ウェリュウカム・トゥ・とっとリュウ!」と、自らユーチューブで発信されました。さすがは、「スタバはないけど、スナバはある」と発言し、鳥取砂丘を宣伝するとともに、「すなば珈琲」の誕生に一役買った知事、お見事です。平井知事のダジャレ脳には、ダジャレをこよなく愛している私ですが、足元にも及びません。
県は鳥取県の形が竜の形をしていると、観光振興のために、こじつけ?ましたが、私は小学生の時、担任の先生から、「鳥取県は犬の形をしています。頭の部分はありませんが、中国山地のところがお腹で、米子から境港に向かっている半島が犬のしっぽですよ」と教えてもらったことを今でもはっきりと覚えています。犬が竜にとって替えられたのは、やはり、平井知事の鶴の一声があったからでしょう。戌(いぬ)年生まれの私には、やっぱり犬に見えるのですが…。

さて、本題に入ります。米子から境港に向かっている、私には犬のしっぽに見える半島が“弓ヶ浜半島”です。長さ約20㎞、幅約4㎞もあり、日本最大級の砂州(さす)なのです。この半島の南側が米子市で北側が境港市です。鳥取県の4大都市?のうち、2つが乗っかっているのです。

この半島の成り立ちについては深く考えたことはなかったのですが、長瀬高浜遺跡を調べているときに、埴輪群が砂に埋もれてしまった要因の一つが天神川上流で行われていた“鉄穴(かんな)流し”だったことを知りました。
鉄穴流しについては学校教育で学ぶ機会はありません。なので、私には何のことか全くわかりませんでした。でも、埴輪の埋没に関係のある鉄穴流しって一体何なの?と疑問に思い調べてみると、鉄穴流しが弓ヶ浜半島の成り立ちにも関係していることがわかってきたのです。
実は、弓ヶ浜半島は1万年以上前の大昔には存在していなかったのです。約7000年前の縄文時代前期にも半島はなく、約2400年前ごろの弥生時代になって、今よりも細いけれど半島の姿を形作っていたようです。しかし、奈良時代には陸地の大部分が海底に沈み、「夜見島(よみのしま)」と呼ばれた細長い島だったようです。その後、江戸時代から明治時代にかけて現在に近い姿になっていったと考えられています。長さ約20㎞、幅約4㎞は膨大な量の砂です。一体、弓ヶ浜半島は、どのように形作られていったのでしょうか。

縄文時代の初めの頃は弓ヶ浜半島はありませんでした

弥生時代の頃は、今よりも細長い半島でした

奈良時代には半島は海にかくれ、島でした

江戸時代以降に大量の砂が堆積するようになりました

明治時代には、ほぼ現在に近い形になっていました
地図をよく見ると、弓ヶ浜半島の付け根の部分に日野川の河口があります。この日野川の上流では、江戸時代の前期頃から「砂鉄」を採るために、「鉄穴(かんな)流し」が行われていて、たくさんの土砂が川に流れ込んでいました。鉄穴(かんな)流しとは、山を切り崩して水路に流し込み、製鉄の原料となる「砂鉄」を採取するやり方のことです。

中国地方は砂鉄から鉄をつくる“たたら”がさかんに行われていました
日野川の上流部の山は広い範囲が「花崗岩」でできています。花崗岩には鉄の成分が含まれています。花崗岩を切り崩して土砂を水路に流し込むと、砂鉄は重いので底に沈みます。砂が流れた後に水路の底から砂鉄を採り出すやり方が「鉄穴流し」です。
日野川に流れ込む中小の川の周辺には集落がつくられました。山間部は田畑が少ないので、砂鉄を採る鉄穴流しがさかんに行われ、砂鉄の収入が人々の生活を支えていたのです。
ところが、鉄穴流しには問題点がありました。切り崩した花崗岩の土砂を大量に川に流し込むため、泥水や土砂が本流の日野川に流れ込み、川底が高くなって洪水が発生しやすくなったのです。そのため、日野川下流部の農村では、たびたび洪水が起こり、大きな被害が発生したのです。
鉄穴流しによって川に流れ込んだ土砂は、洪水が起きるたびに下流に流れ込み、最後には日本海まで達します。実は、弓ケ浜半島は、鉄穴流しによって日野川に流れ込んだ膨大な量の土砂と、大山の山崩れによって流れ込んだ大量の土砂によって形作られた半島だったのです。美しい弓の形をしているのは、日本海に流れ込んだ大量の砂が「潮流」と「強風」の自然の力の組み合わせによって、長い年月をかけて形作られたからなのです。

大山の「一の沢」です。岩石や土砂が流れ落ちるのを防ぐために砂防ダムが造られています
島根半島の後ろ側には日本海が広がっています。ここは南から北に向かって暖流の対馬海流が流れています。この海流が大山の麓付近の陸地にぶつかって、東寄りの強い風の影響を受けて美保湾内に流れ込んでいるのです。
さらには、島根県の宍道(しんじ)湖から鳥取県の中海(なかうみ)にかけての水域は、本州側の陸地と島根半島に挟まれた地形のために、西寄りの風や東寄りの風が吹き抜ける風の通り道となっています。つまり、弓ヶ浜半島は、絶妙な地形と潮の流れと風の組み合わせが生み出した奇跡的な地形なのです。
(次号に続きます)
