弓ヶ浜半島誕生物語②
梨楽庵

弓ヶ浜半島は日本最大級の砂州(さす)の地形です
江戸時代が終わり明治になると、近代工業が発達し、造船業や鉄道建設などで鉄の需要が格段に増えました。しかし、鉄穴流しによって作られる砂鉄はコストが高く、外国から輸入する鋼鉄の方が安価だったので、明治22年(1889年)頃をピークに、鉄穴流しはしだいに減少し、やがて消滅したのです。
鉄穴流しが衰退した影響は、弓ヶ浜半島の付け根付近にある皆生(かいけ)温泉の砂浜に現れました。鉄穴流しによって運ばれていた土砂が急速に減少し、皆生海岸の砂浜がやせ細ってしまったのです。

皆生(かいけ)海岸です。この日は快晴でしたが、波は荒く、強い風が吹いていました。右手奥が大山です
昭和10年代には、海岸浸食が進み、温泉旅館が流失する被害も発生しました。昭和30年には、大波浪によって一夜にして砂浜が約20mも浸食したこともありました。洪水防止のために、日野川の河川工事や上流部のダム建設、堰(せき)などの改築工事が進められ、土砂の流出が減少してきたことも砂浜が細くなった要因だと言われています。
昭和35年には、皆生海岸の浸食防止は緊急を要する課題と判断され、全国で初めて国が直接管理する、建設省(現在の国土交通省)の直轄工事区域に指定されました。沖合には離岸堤が設けられ、護岸等の浸食対策工事が進められました。

左側が皆生温泉街、右奥が離岸堤です
現在の状況は、対策をした箇所では浸食の進行は軽減していますが、未整備の場所では浸食は今も進んでいます。新たな対策として、離岸堤の改良や砂の堆積が増加傾向にある場所から砂を運び出し、減少傾向にある砂浜に運び入れるサンドリサイクル(注1)が行われています。

沖合に積み上げられているのが「消波ブロック」です。この離岸堤で砂浜の浸食を防いでいます。後ろの山並みは、島根半島です
弓ヶ浜半島が竜の角なのか犬のしっぽなのかは別として、地図を眺めているだけではわからなかった半島の成り立ちが、歴史を調べることでより深く理解することができました。
20代の頃、弓ヶ浜半島の付け根にある米子市内の中学校に2年間勤務していたにも関わらず、当時は身近な地域の歴史にはほとんど無関心でした。
農家民宿を立ち上げ、ホームページを作成し、ブログで鳥取発信を思い立たなかったならば、故郷鳥取については薄っぺらな知識のままで日々を無為に過ごしていたのかもしれません。
「関心」を英語ではinterestと書きます。何かに関心を持ち、その関心を持ち続け(ing)、追及していくと、いつの間にかその関心事をinteresting、おもしろいと感じ始めるのです。今頃になって、ようやくinterestとinterestingの意味を深く実感することができました。学びとは、実に楽しいものです。
(注1)サンドリサイクル…重機や浚渫(しゅんせつ)船で堆積砂を掘削し、陸上運搬や海上運搬を行って浸食箇所へ投入するやり方のことです。
*弓ヶ浜半島の変化の様子の地図は、地質ニュース668号「砂と砂浜の地域誌(23)島根県東部の砂と砂浜」から引用しています。
〈 追記 〉
鳥取県には3つの大きな川があります。東部の鳥取市内を流れているのが千代川(せんだいがわ)で、中部の倉吉市内を流れているのが天神川(てんじんがわ)です。西部には米子市内を流れている日野川(ひのがわ)があります。日野川は鳥取県、島根県、広島県の県境付近の三国山(みくにやま)を源流として、日本海へ注いでいる大河川です。

