農家民宿 梨楽庵ブログ

たたら製鉄に魅せられて

梨楽庵

長瀬高浜遺跡の埴輪群は、今から51年前に北条砂丘の東端の砂の中から出土しました

白い建物が天神川(てんじんがわ)の下水処理場の「天神浄化センター」です。この場所から膨大な数の埴輪が発掘されたのです。写真は、「令和の発掘調査」の様子です。令和6年度で発掘調査は終了しました

 たたら製鉄に関する取材を終えたので、今回のブログからは学びの成果をご報告いたします。何時のことかは忘れましたが、「たたら製鉄」という言葉は聞いたことがありました。そして、私は「たたら製鉄=日本刀を作る仕事」だろうな、と生半可な知識しか持ち合わせていませんでした。

 ところが、膨大な埴輪が出土した長瀬高浜遺跡について調べていると、埴輪群が砂に埋もれた要因が天神川の上流部で行われていた「鉄穴(かんな)流し」にあることを知りました。しかし、鉄穴流しという言葉は、学校教育では学ぶ機会はありません。

鳥取県の中部を流れる天神川の上流地域でも鉄穴流しがさかんに行われていました

 なので、鉄穴流しという言葉は聞いたことがなく、全くイメージが湧きませんでした。埴輪の埋没に関係のある鉄穴流しって一体何なの?と疑問に思い調べてみると、鉄穴流しが現在の米子市と境港市が含まれる弓ヶ浜半島の成り立ちにも深く関係していることがわかってきたのです。

 鳥取県民ですから、弓ヶ浜半島という地名は知っています。しかも、米子市内の中学校に2年近く勤務していたこともあり、弓ヶ浜半島は耳に馴染んだ言葉です。しかし、半島の成り立ちについては考えたことはありませんでした。

 ところが、調べていると、弓ヶ浜半島の付け根の部分に河口がある日野川では、奥深い山々が連なる中国山地の上流地域で広範囲にわたって鉄穴流しが行われていたのです。

鳥取県の西部を流れる日野川の上流地域でも鉄穴流しがさかんに行われていました

 江戸時代の前期ごろから、日野川の上流部では「砂鉄」を採るために鉄穴流しが行われ、膨大な量の土砂が川に流れ込んでいたのです。すでにブログで紹介しましたが、鉄穴流しとは、山を切り崩して水路に流し込み、たたら製鉄の原料となる「砂鉄」を採取するやり方のことです。

 鉄穴流しの語句調べをしているうちに、たたら製鉄に辿り着き、たたら製鉄が江戸時代から明治の初期にかけて中国山地でさかんに行われていたことを知ったのです。

 たたら製鉄の研究者の角田徳幸氏の著書によれば、たたら製鉄がさかんに行われたのは、中国地方の4県(岡山県、広島県、島根県、鳥取県)と兵庫県であり、明治初期の資料では、鉄の生産量は全国の90%近くにも達していたそうです。角田氏は、江戸時代もほぼ同様だったと推測されています。

明治15年の資料によると、鳥取県と島根県の鉄の生産量は74.8%を占めていました

 しかも、中国地方の中でも、鳥取県の西側の「伯耆国」と島根県の東側の「出雲国」が「たたら製鉄」の一大産地だったのです。私が住んでいる湯梨浜町は伯耆国に含まれます。郷土の驚くべき歴史の真実との出合いは、私にとっては強烈過ぎる驚きでした。この衝撃が私を「たたら探求の旅」に駆り立てたのです。