たたら炉による鉄づくり③
梨楽庵

たたら炉の中に鉄の塊の鉧(けら)がつくられます
たたら炉の操業では、どのような鉄製品が生産されていたのでしょうか。鉄製品は大きく分けると、含まれる炭素量によって「軟鉄(なんてつ)」と「鋼(はがね)」と「銑鉄(せんてつ)」に分類されます。
“軟鉄”は柔軟性があり折れにくい性質があるので、地金(じがね)として錬鉄(れんてつ)に加工されます。“鋼”は軟鉄よりも硬く、焼き入れをすれば硬度はさらに増します。
鉄製品の刃先に使われるので“刃金(はがね)”とも書き表します。“銑鉄”は融けやすく溶かして鋳型に流し込めば鍋(なべ)や釜などの鋳物の材料になります。
たたら製法の「鉧押(けらおし)」では、炉内に“鉧(けら)”と呼ばれた大きな鉄の塊が出来上がります。この鉧(けら)には、鋼(はがね)が20%~30%ほどで、銑鉄(=銑(ずく)とも言われます)が50%ほど含まれています。残りは不純物を含んだ鉄で、“歩鉧(ぶけら)”と呼ばれています。

鉧(けら)は金偏に母と書きます。漢字のとおり、鉄を生み出す母なのです。鉧(けら)は2.5トン~3.5トンの重さがあります
たたら炉から引き出されたばかりの鉧(けら)は高温です。そのために“鉄池(てついけ)”と呼ばれた水を溜めた池へ落とし込んで急速冷却します。冷却後、鉧(けら)を選別する作業を行います。
鉧(けら)は大きな鉄の塊で、分厚く2.5トン~3.5トン近くの重さがあります。この鉧(けら)を割って打ち砕くための専用の施設が「銅小屋」と呼ばれました。

菅谷たたら山内の「大銅場」です。鉧(けら)を打ち砕く施設です。一般的には鉧を割る施設は“銅小屋”と呼ばれました

絲原家の鉧を割る道具で、“大銅(おおどう)”と呼ばれました

「日刀保たたら」では、重いハンマーを落下させて鉧を割ります
鉧押の製法によってたたら炉内に作られた大きな鉄の塊の鉧(けら)は、銅小屋で割られた後は、大部分は「大鍛冶場(おおかじば)」へ運ばれて製品化の作業が行われます。
銑鉄の一部は鋳物用として使われ、鋳物師によって鍋(なべ)や釜などに加工されました。大部分の“銑鉄(せんてつ)”と“歩鉧(ぶけら)”は大鍛冶場で加熱され、金づちで打ち延ばし、延べ板状の“錬鉄(れんてつ)”に加工されました。
錬鉄は江戸時代には“割鉄(わりてつ)”、明治時代半ば以降は、“包丁鉄(ほうちょうてつ)”と呼ばれました。
大鍛冶場で加熱と鍛錬を繰り返し、製品化された「錬鉄=割鉄=包丁鉄」は出荷され、小鍛冶へ運ばれました。小鍛冶は野鍛冶とも言われ、いわゆる“村の鍛冶屋”さんのことです。
鉧(けら)の内、20%から30%を占めたのが“鋼(はがね)”です。安来市の和鋼博物館には、玉鋼特級、玉鋼1級、玉鋼2級、玉鋼4級の4段階に品質分けされた玉鋼が展示されていました。和鋼博物館に問い合わせてみると、日本刀の主原料として使用される玉鋼は、特級と1級の2種類という回答でした。

鉧(けら)の内部には、様々な品質の鉄ができています。説明版の後ろにある鉧はさらに小割りされて、最後は小槌(こづち)を使って鋼(はがね)を選びだします

鋼の中でも高品質なものを玉鋼(たまはがね)と言います。日本刀の主原料です。一番右側が最も高品質な特級の玉鋼です

玉鋼特級は、確かに光沢に違いが感じられます
大鍛冶場で製錬された包丁鉄(錬鉄をこれ以降は“包丁鉄”と呼びます)は出荷され、鍛冶屋で釘や錠前などに加工されました。また、包丁鉄は鋼と組み合わされ、包丁や、斧や鎌や鍬などの農作業道具が作られました。

鉧(けら)に多く含まれる銑鉄(せんてつ)と歩鉧(ぶけら)は大鍛冶場で錬鉄に加工されます。錬鉄は、割鉄や包丁鉄と呼ばれました。この製品が出荷されました

安来市の清水寺の三重塔に使用されていた釘(くぎ)と瓦止めの金具、そして、錠前と和釘(わくぎ)です

絲原記念館に展示されていた包丁鉄です。小割りできるように切れ目が入っています
たたら製鉄で作られた製品はすべてが“日本刀”だと私は誤解していましたが、たたら製鉄で作られた主力製品は“包丁鉄”だったのです。包丁鉄をもとに村の鍛冶屋さんが様々な道具をつくり、江戸時代以降の庶民の生活を支えていたのです。
今回のブログでは、たたら炉で作られた鉄製品について報告しました。
