農家民宿 梨楽庵ブログ

鹿野そば

風景

 私は「そば打ち」はできません。全国各地の「そば通」の人たちほどたくさんのそばを食べてきたわけでもありません。しかし、10年ほど前に一度だけ「鹿野そば道場」でそば打ちを体験しました。

 この時、「碾(ひ)き立て、打ち立て、茹(ゆ)で立て」のそばを食べ、あまりのおいしさに感動し、今まで食べてきたそばは、一体何だったのか、もっと早くこのそばに出会えたらよかったのに…と、悔しい思いをした記憶があります。

 鹿野そば道場で食べたそば体験がきっかけとなって、遅ればせながら、そばに興味を持つようになりました。それ以来、鳥取県内や中国地方のそばの名店をチェックし、休暇を利用しては美味しいそばを求めて出かけるようになりました。

 ちょうどその頃だった思います。NHKプロフェッショナル仕事の流儀という人気番組でそば打ち名人、高橋邦弘さんの仕事ぶりが放映されました。食い入るようにTVを見ながら、「やっぱり世の中にはすごい人がいるもんだなあ。一度でいいから名人のそばを食べてみたいなあ」と、叶うことのない願いを思い描きました。

 あるとき、中国地方に高橋名人が指導し、そのお弟子さんたちが中心になって「そばで町おこし」をしている町があり、そばを求めて観光客が押し寄せているという話を耳にしました。「よし!行ってみよう!」妻も興味を感じて二人で出かけることにしました。

 3時間余りかけて、多くのそばのお店が立ち並ぶ目的地に到着しました。週末だったこともあり、どのお店も満席でお店の外には長い行列ができていました。

 待ち時間は1時間から1時間半。食べるのをやめようかとも思いましたが、ここまでやってきた時間を考えると、引き返すのは悔しくて、二人で行列の最後尾に並ぶことにしました。

 ようやく順番が来て席に着くことができました。まもなくすると、待ちに待ったざるそばが目の前に現れました。早速箸を手に取り食べ始めました。「おや?何か今ひとつの味だなあ」周囲を見渡すと、どのお客さんもただ黙々とそばを食べています。

 顔からはおいしいね、という表情は読み取れません。余りにも長い時間待たされたので、空腹感を埋めるためだけに食べているような感じでした。腕の立つそば職人さんが打ったそばには違いないのに…。

 そばの味は、“香り”“食感”“のどごし”の3つの要素が決め手だと言われます。多くの観光客がお目当てにしている人気店でそばを食べたのに、なぜそれほど美味しく感じなかったのだろう。

 私の味覚が鈍っていたのか、その日の体調がよくなかったからだろうか、なぜ、香りも、食感も、のどごしも、満足感が感じられなかったのだろうか。

 この難問の回答はなかなか得られませんでした。ようやく辿り着いた私の結論は、そばに限らず、人が食事を美味しく感じるためには、提供される食事が標準以上に美味しいことは絶対条件ですが、大事なことは、食事が出される時間とお店の雰囲気と接客の3つではないかと感じています。

 どんなに美味しいものでも待たされすぎるとイライラ感が生じます。普段は食べることのできないものを食べることができるというワクワク感も時間の経過とともに減少していくのです。さらには、同席している人たちが暗い顔で黙々と食べていても、美味しさを共有している高揚感は生まれません。

 そして、重要な決め手が接客です。行列ができる人気店の一番の欠点は、数をこなそう、待っている人に早く食べてもらおうとする気持ちばかりが先に立ち、丁寧な接客が疎かになっていくのです。いや、疎かになっていることにさえ気がつかなくなってしまうのではないでしょうか。

 日本料理や洋食や中華など他にも食べたいものがたくさんあります。なので、しばらくそばとは離れていましたが、定年退職後、久しぶりに鹿野そば道場に出かけました。

 大好物のかき揚げそばを注文すると、数分でそばがやってきました。食べると、とても美味しいのです。以前食べていた時よりもなぜか美味しく感じたのです。

 平日なので満席ではありませんでしたが、回りのお客様もにこやかな表情で美味しそうに食べています。行列もできていないので、接客係のおば様たちもゆとりを持ちながら笑顔で接客をしています。

  「これかもしれないな。待ち時間も短く、できたてのそばを落ち着いた雰囲気で食べることができるので、美味しく感じたんだな。現職の頃は、週末にしか来られなかったので、人も多く、いつもせわしない感じがしていたなあ。ゆっくりとそばを味わう心のゆとりがなかったので、飛び抜けて美味しいとは感じなかったのかも知れないな」

  「いや違う。ここのそばが美味しい理由はそれだけではない。“そばの風味が感じられてうまい!”と感じたのは、水の清らかな鹿野町で愛情を込めて栽培されて碾かれたそば粉自体が美味しいからなんだ。手打ちの十割そばなので、“香り”“食感”“のどごし”の3要素のバランスが絶妙だからにちがいない」

 鹿野そば道場の「そば」の美味しさは、今や県の内外に広く知られています。週末になると、待合では多くのお客さんが順番待ちをされているようです。

 山陰自動車道を利用すれば、梨楽庵からは20分ほどで鹿野そば道場へ行くことができます。週末は避けて平日に出かけることができるので待ち時間もありません。今はいつでも大好物にありつける幸福感を感じています。