貝がらもなか
風景

鳥取県を代表する民謡の一つが「貝殻節」です。山陰の沖合でホタテ貝漁が盛んだった頃、過酷な作業の合間に漁師たちが歌っていた労働歌なのです。
今から60年前の昭和41年(1966)、吉永小百合さん主演のNHKドラマ「夢千代日記」の中で、貝殻節に合わせて芸者さんたちが度々舞を披露したことがきっかけで、この歌が全国的に知られるようになりました。
鳥取県の沖合では、江戸時代から周期的にホタテ貝が大発生し、大豊漁で沿岸の港は大賑わいだったと伝えられています。大発生の年を“貝殻年”(かいがらどし)と呼んでいました。
鳥取県史には、何度も大豊漁について記載されています。天保5年(1835)の記録には、「泊、青谷灘帆立貝大漁、此地の繁盛言語に絶えたり」(県史天保厳秘録)、つまり、県史の筆者は、言葉で言い表せないほどの繁盛ぶりだったと、驚きを持って筆で記したのです。
ほたて貝の発生は、鳥取県の全域の沖合でしたが、今の湯梨浜町泊から鳥取市気高町浜村の沖合あたりが中心的な海域でした。この地域では江戸時代の終わり頃から“貝殻節”が歌い継がれています。
気高町浜村の貝殻節の1番は、「何の因果で 貝殻こぎなろた カワイヤノー カワイヤノー 色は黒うなる 身はやせる ヤサホー エイヤー ホーエヤエーエ ヨイヤサノサッサ ヤンサノエーエ ヨイヤサノサッサ」です。
湯梨浜町泊の貝殻節の1番は、「泊沖から貝殻が採れる カワイヤノー、カワイヤノー かかよ 飯(まま)炊けコリャ出にゃならぬ ヤサホーエーヤー、ホーエヤエーエ、ヨイヤサノサッサ」です。
歌詞が異なるものの、貝殻節がこの地域の人々に愛され歌われてきたのは間違いのない事実です。
貝殻節の誕生の地の一つである浜村には老舗の和菓子の名店があります。“御菓子司ふね”です。10種類以上の和菓子を作っておられますが、「ふね」と聞いて思い浮かぶのは、“貝がらもなか”です。

浜村の地元の人ならともかく、失礼かもしれませんが、お店の名前の「ふね」は知らなくても、“貝がらもなか”は知っているという人の方が鳥取県東部地区には多いのではないでしょうか。
大きく分けて鳥取県は鳥取市を中心とした東部地区と、倉吉市を中心とした中部地区、そして、米子市と境港市を中心とした西部地区の3つの生活圏に分かれています。
なので、「ふね」さんは、東部地区の名店にもかかわらず、中部や西部の人たちにとっては馴染みの少ないお店になってしまい、“貝がらもなか”の存在も地元の人以外にはあまり知られていなかったのです。
ところが、美味しいものはいつか必ず多くの人に伝わるものです。私は銘菓は3つの条件を兼ね備えていると考えています。当然ながら“貝がらもなか”にも3つが備わっています。
1つ目は和菓子の名前の「菓名」の良さです。地元の歴史を背景に名付けられた菓名なので、親しみが感じられます。「貝がら」が「もなか」になっているの?どんな「もなか」かな?お客様は、いろいろな貝がらを思い浮かべながら「もなか」との出会いが楽しくなってきます。

2つ目は和菓子の形状が生み出す品格です。“貝がらもなか”を一目見ると、そのかわいらしさから、思わず笑みがこぼれます。大きさもベストサイズです。

3つ目は、味です。もなかの薄皮と粒あんの取り合わせが生み出す風味がたまらなく美味しいのです。

現職の頃、職場に“貝がらもなか”を持参し、職員にプレゼントしました。誰もが「美味しいです。」と喜んでくれました。甘いものが苦手だった上司に遠慮がちにお薦めすると、「その和菓子だけは好きなんだよ」と予想外の反応が返ってきました。“貝がらもなか”は老若男女、誰もが一度食べたら忘れられない逸品なのです。
「ふね」さんのお店のイチ推しは“貝がらもなか”なのですが、他にも手に取って食べたくなる和菓子がガラスケースの中に並んでいます。ほたて貝、漁火(いさりび)、日本海、たこぶね、いがいな貝、なんだ貝なあ、……。何ともかわいらしいネーミングです。
「ふね」さんのお店の前には、雄大な日本海が広がっています。きっと、この海をテーマに菓名を考え、一つひとつ丁寧に造りあげられたにちがいありません。
今や“貝がらもなか”の知名度は格段に高まり、県外にも知られるようになりました。通販も取り扱われています。それだけ需要がある証拠です。
「ふね」さんのお店は、日本海に沿った国道9号線にあるので、山陰自動車道からは少し離れていますが、浜村鹿野温泉ICを下りてから5分ほどで到着します。是非ともお店に立ち寄り、お買い求めください。“貝がらもなか”だけは、山陰自動車道の「道の駅西いなば気楽里(きらり)」で販売しています。
