東郷荘下地中分絵図って何ですか?②
梨楽庵

平成15年(2003)12月撮影の航空写真
(東郷荘絵図徹底解説ガイドより)

航空写真と絵図を見比べてください。驚くことに、東郷池周辺には、鎌倉時代の絵図と変わらない景観が残っているのです
本題に入ります。『伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図』は、正嘉2年(1258)、今から768年前の鎌倉時代の中頃に作図された絵図です。伯耆国は現在の鳥取県中西部地域のことです。
河村郡は当時の行政区域で、現在は、東伯郡です。“東郷荘(とうごうのしょう)”は、湯梨浜町の東郷池の周辺一帯にあった荘園のことです。絵図は、上側が南で下側が北として描かれています。

「羽合町・東郷町・泊村」が合併し、湯梨浜町となりました
東郷池の周辺一帯は、現在は合併して湯梨浜町となっていますが、合併前は、絵図の南側半分は「東郷町」、北側半分は「羽合町」でした。そして、東郷池の周辺一帯は、平安時代末期から鎌倉時代の初期に、東郷氏一族が河村郡内で勢力を強めていました。
東郷氏の先祖は筑前国(福岡県)で広大な領地を所有する有力な武士でした。この原田氏の同族が伯耆国へ移住してきたと言われています。原田氏系図によると、平安時代の11世紀中頃に原田種頼(たねより)が河村郡の東側の“郡司(ぐんじ)”として任命されたようです。郡司は今の町長にあたります。
それから200年ほど経過し、原田種頼の子孫、東郷信平が長和田(なごうた)に所有していた領地を京都の松尾神社に寄進したことから、松尾神社を“領家”とする東郷荘が成立したと考えられています。
東郷信平は現地で東郷荘を管理する荘官(しょうかん)として下司職(げししき)を務めていたようです。原田姓から東郷姓への改名は、信平の父、家平の時だったと言われています。家平の代に勢力が強まり、現地の地名を名乗ることのできる豪族へと成長した証だと言われています。

鎌倉幕府が誕生したものの、源氏が滅んで以降、幕府の実権を握った執権(しっけん)の北条氏と朝廷の対立が続いていました。承久3年(1221)、京都で院政を行い、朝廷で絶大な権力を握っていた後鳥羽上皇は、挙兵しましたが、幕府に大敗をきっしました。後鳥羽上皇は流罪となり、隠岐に島流しとなりました。この出来事を承久(じょうきゅう)の乱と呼んでいます。
後鳥羽上皇側に味方した貴族や西日本の武士たちは、領地を全て取り上げられ、将軍の家臣で“御家人”と呼ばれた東国の武士たちが、新たに“地頭”に任命され、領地を与えられました。この時期に東日本から西日本へ、武士を中心とする人々の大移動が行われたのです。
東郷荘にも激動の時代が訪れました。東郷氏は弱体化した松尾神社の下司職(げししき)の立場ではなく、幕府の御家人として新たに“地頭”に任命され、領家だった松尾神社の支配地に勢力を拡大するようになったのです。
そのために、東郷氏と松尾神社の対立は激化しました。解決は今で言うと、法廷闘争となったのです。鎌倉時代の裁判所は、鎌倉に設けられた役所で“問注所(もんちゅうじょ)”と呼ばれました。

問注所が下した解決策は、「東郷荘を地頭と領家で半分ずつに分け合うこと」でした。両者の和解は成立し、それぞれの支配地を明示するために“下地中分絵図”が作成されたのです。“下地”とは、土地のことです。

承久の乱以後、全国各地で地頭と領家の対立が激しくなりましたが、両者が和解し解決に至った当時の様子を具体的に知ることができる絵図が現存しているのは、非常に稀有なことなのです。
絵図の原本は京都の“松尾大社”が所蔵し、現在は個人蔵となっています。数点の模写本が作成され、東京大学史料編纂所が所蔵している絵図が最も精密で原本とほとんど相違がないと言われています。
当時の歴史を説明する最適な史料なので、歴史の教科書に掲載されてきたのです。荘園史を研究している研究者にとっても第一級の史料なのです。
松尾大社は京都市の西京区嵐山にあります。平安京へ都が移る以前から渡来系の氏族“秦(はた)氏”の信仰が篤く、桓武天皇が平安京に都を置かれて以降は、東の“賀茂神社”と並び、都の西の守護神(まもりがみ)として崇(あが)められてきました。
さらには、秦氏の特技が酒造りだったことから、室町時代末期以降は、松尾大社は“日本第一酒造神”としても崇敬されるようになりました。現在も境内には全国の酒造元から奉納された酒樽が並べられ、必見の価値があります。
つまり、768年前に作図された絵図が現存してきた最大の理由は、京都にある松尾大社という圧倒的な権勢のある神社が守り伝えてきたからなのです。
次回のブログでは、絵図に何が描かれ、何を読み取ることができるのか、私の学びの報告をいたします。
(次号へ続きます)
*参考文献…『東郷町誌』『羽合町史 前編』『新修羽合町史』『保存版 東郷荘絵図 徹底解説ガイド』平成21年(2009年)湯梨浜町企画課
