農家民宿 梨楽庵ブログ

梨づくり

梨楽庵

   数日後には梨の花が次々と開花します。

 わが家には父母が切り拓いた梨の果樹園があります。最盛期には4万個あまり収穫していた時期があったと生前、母が語っていました。父も母も高齢のために栽培を継続していくことが困難となりました。

 そのため、年々梨の木を伐採し、伐採した後にはヒノキを植栽していました。今では幹周りが50㎝以上の木に育っています。子どもの頃、私も苗木を植えた記憶が残っています。

 父と母が70歳台に入ると、より一層栽培を継続することが体力的に難しくなりました。残された二十世紀梨の木はわずかに5本。品種の違う「あたご梨」の木が1本、「王秋(おうしゅう)梨」が2本でした。(注1)

 わずか8本の梨の木ですが、老夫婦二人で栽培するのは大変でした。父母の知人の協力のおかげで、なんとか栽培することができましたが、父母の体調次第では、近いうちに廃園を決断しなければならない状況でした。

 「8本の梨の木をどうしようか。いずれ父も母も農作業が全くできなくなり、果樹園に来ることさえできなくなる日がやってくるけど…」悩んだ結果が、「自分が栽培しよう」という結論でした。

 その当時、私は中学校の社会科の教師をしていました。ある日、「教職を続けながらも、お父さんやお母さんがまだ元気なうちに、週末を利用して梨づくりに挑戦しようと思っている」と、母に話しました。

 すると、「お前には先生の仕事があるから、絶対に無理だけ。梨づくりほど大変な農作業は他にはないだで。体もめぐし(方言=こわすし)。片手間にできることではないけ、やめときなさい」と、一笑に付されてしまいました。父はあきれて苦笑いしていました。

 無理だと断定されたために、逆に心に火がついてしまいました。いったんやると決めたなら、父母がまだ体が動く間に梨づくりの全てを学びたい。1年間の作業を全て体に覚え込ませたいと意気込んでいました。

 作業のわからないところは父母の知人の指導を受けながら、53歳の春から、休日を利用して梨づくりの挑戦を始めたのです。

 4月下旬には梨の実の赤ちゃんが元気に育ちます。

5月の大型連休には、梨の赤ちゃんに小袋をかけて病気から守ります。

 意気込んでやり始めたものの、母の言葉どおり梨づくりは大変な作業でした。4月は「交配」、5月は「間引き」と「小袋かけ」、6月は「大袋かけ」の作業があり、定期的に行う「施肥」と「草刈り」と「消毒」も必要です。

 特に、夏場の消毒作業は、つらい、です。人体への安全対策としてカッパを着用するので、汗だくになるからです。

 7月から9月の収穫期までは、果樹園を荒らすイノシシとの戦いの時期です。さらには、梨の実が生長するとやってくるカラスとの戦いがあります。カラスは、大袋をかけた直後から袋を食いちぎるのですが、近年は小袋をかけた直後から来襲してきます。

6月には小袋が破れるまでに大袋をかけて梨の実を守ります。

 一番神経を使うのが台風シーズンです。天気予報で台風の発生を知ると、台風の進路が気になります。台風が直撃したら、一年間の努力が水泡に帰すことになるからです。どの段階でどの程度の防風対策をするべきなのか、判断に悩むのです。

  いよいよ梨が収穫時期を迎えてきました。

 二十世紀梨は梨楽庵では9月上旬に収穫します。JA全農では8月下旬から出荷しますが、経験上、二十世紀梨が最も美味しくなる旬は9月6日~12日の約1週間です。「王秋梨」は11月上旬、「あたご梨」は12月上旬が収穫期です。収穫後も「消毒」と「施肥」は必要です。

 以前、ある人から質問されたことがあります。「梨づくりって、一年間何らかの作業があって大変だって聞きましたが、冬にも作業があるのですか?」と。あるのです。

 12月から1月にかけては、「剪定」と「棚づけ」作業があります。しかし、今年は大雪が3回もやって来たので、なかなか果樹園に入ることができず、3月下旬まで作業が先延ばしとなってしまいました。

 ところで、梨づくりは年間通して農作業をしなければならない大変な仕事なのに、なぜ梨づくりをするのでしょうか。父と母は、生活のためでした。姉と私を育て、祖父母を含めて家族を養っていかなければならなかったのです。

  鳥取の二十世紀梨は、黄緑色が鮮やかな青梨です。

 私の理由は三つあります。一つ目は、確かに梨づくりは大変ですが、秋に満足のいく梨が実り、親戚や友人に届けると「今年もおいしかったよ」と言っていただけます。その言葉を聞くと、また来年も喜んでいただけるようにがんばろうと、新たな意欲がわいてくるからです。

 12個を5㎏箱に入れます。まるで箱入り娘です。

梨楽庵専用の化粧箱に入れて宅配便でお届けします。

 二つ目は、当初は生活を支えることが目的の梨づくりだったのですが、長年の努力が認められて、32年前の平成6年(1994)、母が63歳の時に、皇室への“献上梨”農家に選ばれたのです。

 当時の新聞には、「毎年、力いっぱいナシをつくってきたのが認められたのでしょう。出来てみなければ分からないので、一度は断ったのですが…。息子がお母さん、よかったねと言ってくれたのがうれしかった」と、取材を受けた母の言葉が載っていました。

  「退職したら梨をつくろうかな。誇れる母と母を支えた父の梨づくりは、自分が受け継がなければならない日が来るかも知れないな」喜ぶ母の笑顔を見ながら、小さな決意が芽生えたように記憶しています。

 三つ目の理由は、鳥取県の平井知事が本県の基幹産業の一つである梨づくりに取り組んでいる農家を激励する集会で発した言葉でした。「梨づくりはあらゆる農業の中でも、もっとも栽培するのが困難な農業です」と、挨拶の冒頭で、梨農家さんたちを最大限の賛辞で称えられたのです。

 テレビで平井知事の言葉を聞いたとき、「よーし、平井知事も認める困難な梨づくりに自分も取り組むぞ」梨づくりを始めたものの、まだまだ未熟だった私にとっても「がんばりなさいよ」と私の背中を強く押す一言だったのです。

 すでに今は、父も母も他界しています。しかし、父と母がご縁を繋(つな)げてくれたおかげで、収穫した梨は親戚や友人、知人に毎年届けています。梨づくりを始めて今年で16年目を迎えます。妻は私を支えて梨づくりに協力しています。

 2年前、妻は自分専用の草刈機を購入しました。「ね、わかったでしょ。危ない、危ないって心配してくれてたけど、私にも草刈りができたでしょ」と自慢そうな顔をして微笑んでいます。

 妻の草刈りデビューのおかげで、私の体力的な負担感がかなり軽減しました。斜面の危険な場所は私が草刈りをして、平地は妻の担当場所です。

 4月になって桜が開花すると、草刈りシーズンの開幕です。さあ、今年も秋に喜んでいただけるように、がんばるかな。

(注1)退職と同時に新たに「王秋梨」の苗木を購入し、2本植栽しました。父母が残した防除暦等をもとに、ほぼ独学で身に着けた栽培技術をもとに初歩からの梨づくりへの挑戦でした。3年前から少しですが、収穫できるように生長しています。