農家民宿 梨楽庵ブログ

老舗和菓子店「亀甲や」①

風景

 鳥取藩池田家32万石の城下町だった鳥取市は、江戸時代には藩都として、明治になってからも県庁所在地として鳥取県の政治・経済・文化の中心地として栄えてきました。鳥取市に限らず、旧城下町だった都市では、様々な芸能文化が伝承されています。その一つが茶道であり、和菓子文化です。

 鳥取県で最も古い老舗和菓子店が“亀甲や”です。何と創業したのは今から158年前、慶応4年(1868)でした。この年は江戸から明治に時代が大転換した年です。1月には戊辰戦争が始まり、3月には「五か条の御誓文」が出され、4月には新政府に江戸城が明け渡され、9月には元号が慶応から明治に改元された激動の年でした。この歴史的な年の5月に“亀甲や”は創業したのです。

 調べてみると、さらに驚くことを知りました。“亀甲や”のご先祖は「染物屋」だったのです。時は江戸時代へ遡ります。寛永9年(1632)数え年3歳で岡山藩主の家督を継いだ池田光仲は、幼少を理由に、幕命により岡山から鳥取への“御国替え(おくにがえ)”を命じられました。この時、岡山県の“亀の甲”の地で染物屋を営んでいたご先祖も鳥取へ移住したのです。

 時は下り慶応4年、9代目の次男、治郎平が“亀甲や”を創業し、“亀甲もなか”を製造販売したところ、好評を博しました。“亀甲”という長寿を意味する言葉が店名にも菓銘にも使われたので、当時の人たちに縁起物のお菓子として受け入れられたのではないでしょうか。

 “亀甲もなか”形は六角形です。亀甲とは「亀の甲羅」のことで、この形は「安定」「調和」を表し、六角形を規則正しく連ねることで「永遠の繁栄」を表すとされています。連ねた文様は亀甲文様と言われ、着物や帯など、和装や和雑貨の絵柄としてよく用いられています。

 もちろん、好評を博したのは“もなか”自体が美味しかったからです。焼き皮は上質なもち米を使用し、餡は精選された北海道産の小豆が使われています。手に取ると、小ぶりな大きさがかわいく感じられます。薄い焼き皮と甘さをひかえた上質なこし餡(あん)を口に含むと上品さが口内に広がります。抹茶との相性が抜群です。

 現在、“亀甲もなか”は看板商品の一つとして、“亀甲や”独自の製法と秘法を受け継ぎ、上品な風味が継承されています。大正4年と昭和3年には“宮内省御用”の栄誉を賜っています。さらには、平成20年には第25回全国菓子大博覧会において名誉総裁賞を受賞しています。

( 次号へ続きます )