どこかで春が
風景
蕗の薹(フキノトウ)が顔を出しています。
蕗の薹がこんなにたくさん採れました。
蕗の薹味噌をつくり、ご飯にかけて食べます。
原木シイタケを栽培しています。
大きいものは、直径13㎝あります。
天日干しすると、うまみ成分が増すそうです。
原木シイタケのハンバーグは絶品です!
紅梅が八分咲きです。
白梅も八分咲きです。
どこかで春が生まれてる どこかで水が流れ出す
どこかで雲雀が鳴いている どこかで芽の出る 音がする
山の三月 そよ風吹いて どこかで春が 生まれてる
作詞 百田宗治 作曲 草川 信
この歌は早春の歌として大変有名な童謡です。柔らかな陽光が大空を包む日には、この歌を口ずさむと、本当にどこかで春が生まれているような不思議な感覚に陥ります。
梨楽庵の農園で春の訪れをいち早く実感できるのは、1月下旬頃に蕗の薹(ふきのとう)を見つけたときです。雪深い年と暖冬の年では蕗の薹が顔を出すのに違いがありますが、今年は暖冬傾向だったので1月下旬には摘み取ることができました。
収穫した日の夕食時には、妻に頼んで天ぷらと蕗の薹の味噌をつくってもらいました。熱々の天ぷらを口に入れると蕗の薹の独特のわずかな苦みの中に小さな春を感じ取ることができました。蕗のとう味噌も色鮮やかな緑色なので、熱々の真っ白いご飯にのせて食べると口の中に小さな春の広がりが感じられます。
今年の2月は初夏を思わせる気温の日もあり、このまま春に突入するのではないかと心配しましたが、寒気が戻りひと安心しました。実は、二十世紀梨の栽培にとって暖冬が続くことは大敵なのです。気温が高いと害虫が発生しやすくなります。十分な休眠時間が必要な二十世紀梨の木が寝不足のまま春を迎えると、梨の生育に悪影響を及ぼすからです。
2月は冬の寒気と春の暖気が交互にやってきて、体調管理が大変ですが、どこかで春の足音が聞こえて来そうに感じます。冬場の農作業は春からの準備をしています。イノシシ柵の修理をしたり、梨の棚付作業をしたり、畑の手入れをしたりして気分転換をしています。私の趣味の一つになっている農作業ですが、近ごろ、農作業は“脳”作業だと感じるようになってきました。
激しい農作業を毎日のようにやっていると体を壊してしまうこともあるのですが、趣味の範囲の農作業なら、運動不足の解消になります。特に、冬に行う梨の剪定作業と棚付作業と初夏の袋かけ作業は、指先を細かく使う動きが多く、脳の活性化には適した活動だと気がつくようになりました。
梨楽庵の農園では、原木シイタケも栽培しています。農園は元々大部分が梨の果樹園だったのですが、父と母が高齢化したために、栽培面積の縮小を余儀なくされました。梨の木を伐採した後に、母がヒノキの植栽を行い、今では樹齢30年余りのヒノキ林になっています。
ヒノキの植栽のおかげで、ヒノキ林の環境がシイタケ栽培に適していることを知り、6年前に原木シイタケの栽培を始めました。出荷はしていませんが、2月下旬から3月下旬ごろの約1か月が収穫適期です。原木からシイタケの赤ちゃんが顔を出すと、小さな春の訪れを感じます。
さて、先週のことです。愛車の軽トラで果樹園に向かい、畑仕事に精を出していると、春を思わせるポカポカな陽気に誘われて、ヒノキ林の方から、「ホー、ホケキョ…。ケッキョ、ケッキョ」とウグイスの鳴き声が聞こえてきました。まだ初鳴きなので、鳴き声はたどたどしく、遠慮がちな声でした。初鳴きに呼応するように、ヒノキ林のところからだけでなく、雑木林の方からも「ケッキョ、ケッキョ」とお友だちのウグイスが合図を送っていました。野山に響き渡るウグイスの合唱は、私たちに元気を与えてくれるので、本格的な春の訪れが待ち遠しいです。
「彼岸過ぎての春の雪」という言葉があります。三月の下旬になっても突然の吹雪がやってきて、ようやく春がやってきた、と思っていたのに、一晩で冬に逆戻りすることもあります。「三寒四温」という言葉もあります。寒い日が三日ほど続いた後に、今度は暖かい日が四日ほど続く天気が繰り返されながら、この時期になると、しだいに冬から春へと衣替えをしていくのです。
農家民宿「梨楽庵」の周辺では、まだまだ春の訪れは感じられませんが、確かに、どこかで春は生まれているのです。もうすぐ、私たちが住む里にも、そよ風とともに春はやってくるのです。