農家民宿 梨楽庵ブログ

生姜せんべい

風景

   「城北たまだ屋」さんの生姜せんべい

    「城北たまだ屋」さんのお店

   「秋田玉栄堂」さんの生姜せんべい

    「秋田玉栄堂」さんのお店

   「いずみ屋」さんの生姜せんべい

     「いずみ屋」さんのお店

    「宝月堂」さんの生姜せんべい

     「宝月堂」さんのお店

 城北たまだ屋・秋田玉栄堂・いずみ屋の袋入り

   宝月堂さんの個包装された生姜せんべい

   「宝月堂」さんの贈答用の生姜せんべい

 鳥取藩主池田家の家紋が取り入られたデザイン

 「煎餅」と聞けば、日本人にとっては郷土のお菓子の代表格です。そして、煎餅と聞くと、なぜか昭和のイメージと重なってきます。日本人にとって煎餅は故郷のお菓子であり、日本全国には、その地域の人々に愛され、親しまれた煎餅文化が残っています。

 鳥取県の県庁所在地、鳥取市には、「生姜せんべい」と呼ばれる煎餅があります。2月に、日本海TVの「新ふるさと百景」で放送されていました。「生姜せんべい」は、形は波形で、生姜蜜が白色で塗られています。起源は江戸時代の後期まで遡ることができます。最盛期は、鳥取市内の各地で製造されていました。現在は、僅か4軒になってしまいましたが、それぞれのお店が、伝統を守りながら、手作業で丁寧にせんべいづくりに励んでおられます。

 鳥取市内にある4軒の「生姜せんべい」のお店は、「城北たまだ屋」「秋田玉栄堂」「いずみ屋」「宝月堂」です。生姜せんべいづくりの主な作業工程は、「焼き」「曲げ」「塗り」の3工程です。焼きは、生地を流し込み、鉄板で焼く作業です。曲げは、波の形をつくる作業です。塗りは、砂糖と生姜の絞り汁でつくった生姜蜜を刷毛で一枚一枚塗る作業です。基本的な作業工程は3つですが、4軒のお店ごとに、こだわりの個性と特徴があります。

 鳥取市松波町には「城北たまだ屋」さんのお店があります。創業以来、50年以上の伝統があり、現在は、夫婦二世代で受け継いでおられます。たまだ屋さんの生姜せんべいの生地種は、砂糖・小麦粉・卵・牛乳・生姜液です。卵の量は少なめにされているそうです。江戸時代からの質素倹約の教えが受け継がれ、砂糖や卵は少なめにして、庶民が購入しやすい生地にされているそうです。

 城北たまだ屋さんでは、一日およそ5000枚を半日で焼き上げているそうです。焼き上がると、柔らかいうちに折り曲げて波形を作ります。一枚一枚、手で曲げるのがたまだ屋さんの「こだわり」です。店主のお父さんは、「一枚一枚です。曲げ方は、指の使い方です。波にはバランスがあるわけではなく、いろいろです。左右対称で、深くもなく浅くもなく曲げて、美しい形をめざしています。せんべい一つをとっても、品格を表すにはどうしたらよいかを研究して、趣がある感じに受け取ってもらえたらいいです。日本海の荒波をイメージして曲げています」と、話されていました。

 生姜せんべいの仕上げは、生姜蜜を刷毛で塗る作業です。生姜蜜はそれぞれのお店独自の製法があります。城北たまだ屋さんでは、鳥取市鹿野町産の生姜の絞り汁で砂糖を煮詰めてつくられています。店主の奥様は、「生姜せんべいの一番のメインは辛さです。刷毛の冷めないうちに、そして、生姜蜜がさめないうちに、刷毛が自由に、どちらを向いてもハケられるようにと、最初に姑さんから教わりました」と、話されていました。

 乾燥させると、生姜蜜は白く浮かび上がります。たまだ屋さんで受け継がれたせんべいの情景は、日本海の荒波です。そして、刷毛塗りされた生姜蜜は、白波を表現しています。

 鳥取市吉方町にある創業1926年の「秋田玉栄堂」さんも生姜せんべいを製造しています。生姜せんべいを作り始めた時期がいつなのか、記録は残っていないそうです。週に一度、約2000枚を焼き上げています。波形を作る「曲げ」は機械で行っています。波の情景は、日本海の荒波と砂丘の風紋をイメージしています。刷毛塗りは、やはり一枚一枚が手作業です。菓名は「波生姜煎餅」です。

 鳥取市行徳(ぎょうとく)には「いずみ屋製菓」さんがあります。1948年創業で、現在は、三代目のご夫婦が受け継いでおられます。三代目の山根さんの奥さんの名前は「いずみ」、いずみさんの祖父が戦後に仲間と菓子工場を開いたのが始まりだそうです。波形は、木型に並べて上から押さえて波型を作ります。いずみ屋さんは、菓子の情景を鳥取砂丘の起伏をイメージして作られています。

 生姜蜜は創業当時から鳥取市気高町産の「日光生姜」を原料にしているそうです。いずみ屋さんも、やはり、一枚一枚丁寧に刷毛塗りをされています。生姜蜜を塗った後は、蒸籠(せいろ)で蒸して乾燥させて完成です。このやり方は受け継がれてきた伝統的な製造方法です。砂丘の風紋にうっすらと雪が積もったようなイメージで製造されています。

 いずみさんは、「ほのかに甘く、シャリッと薄くて、おいしいと思います。鳥取で育った人は懐かしく思われると思うので、少しずつでも絶やさないように残していきたい」と、話しておられました。「お客様が喜んでくださる顔を見るのが一番の活力ですね」と、ご主人は話しておられました。

 鳥取市二階町には宝月堂さんがお店を構えています。1902年創業で、120年余りの歴史がある老舗和菓子店です。「蜂蜜まんじゅう」が看板商品です。五代目の佐々木さんは和菓子の他に唯一生姜せんべいを作られています。佐々木さんは、宝月堂の生姜せんべい誕生秘話を次のように話されました。

 「もともと宝月堂は、和菓子屋で、お茶席に使うような和菓子を作っていました。ところが、吉田璋也(しょうや)さんが、ロータリークラブの鳥取支部を結成され、初代会長になられました。そうなると、全国からお客様が鳥取に来られます。璋也さんはお土産用として持たせたいと考えられました。当時の駄菓子屋では、包装もなく、裸で一枚ずつ買うようなお菓子だったそうです。それを個包装にして贈答用の箱に入れたら立派なお土産になると考えられたようです。その時白羽の矢がたったのが、それまで出入りしていた私のお店だったのです」

 生姜せんべいの情景は、「鳥取砂丘にうっすらと雪が積もったようだ」と称した吉田璋也氏は、鳥取市で古くから駄菓子として作られていた生姜せんべいを個包装にして、文様を施した専用の箱に収め、駄菓子を民藝の煎餅としてリニューアルし、贈答品に発展させたのです。

 宝月堂で生姜せんべいを作り始めたのは、佐々木さんの祖父の時からでした。佐々木さんは祖父から直接手ほどきを受け、生姜せんべいの作り方を学んだのです。煎餅の波形には店それぞれの個性が感じられます。佐々木さんは、「鉄板についている柄の部分に生地をのせて曲げていきます。5秒たったら割れてくるので、一瞬で曲げないといけません。焼き色が違ったり、反りが違ったりというのも民藝のおもしろさだと思って、お客様にはご容赦願っています」と、笑顔で話されていました。

 生姜せんべいの材料の一つとなっている「生姜」は、鳥取市気高町鹿野で生産されています。鹿野での生姜の栽培は400年以上の歴史があります。戦国時代にこの地を治めていた鹿野城主、亀井茲矩(これのり)が朱印船貿易で東南アジアから生姜を移入し、栽培を奨励したことが起源となっています。

 瑞穂生姜協議会代表の村上さんは、生姜作りの独特な製法について説明するために、取材陣を山に掘られた洞穴に案内されました。「秋に掘った生姜に土をかけてこの穴で保存しています。ここは湿度と温度が年中一定の天然の貯蔵庫です。生姜は寒さに弱くて、湿度がないと乾いてシワシワになってしまいます。穴で保存することで旨みが出ます。辛味も残ったままです」

 山に横穴を掘って作られた貯蔵庫は「生姜穴」と呼ばれています。収穫した生姜をさらさらな土の中で熟成させることで生姜のおいしさが引き出されるそうです。生姜せんべいに使われる生姜は、国内有数の産地である高知県や鳥取県東部で生産されたものなど、お店によって様々です。宝月堂ではおよそ15年前から鳥取市気高町産の「瑞穂生姜」を使用しているそうです。

 鳥取の郷土菓子、生姜せんべいの歴史は100年以上あり、庶民の味として長い間親しまれてきました。今は、4軒がそれぞれのやり方で受け継がれています。卵と砂糖が少ない生地を使い、波型を形作り、自家製の生姜蜜を一枚一枚刷毛塗りするという同じ工程でも、お店によってやり方は異なっています。

 しかし、どのお店も、一枚一枚手間暇かけて、心を込めて生姜せんべいを作られています。波形で白く塗られた生姜蜜の素朴な風情が生姜せんべいの最大の特徴です。せんべいを手に取り、思い浮かぶ情景は、「日本海の荒波」「日本海の荒波と砂丘の風紋」「鳥取砂丘の起伏」「砂丘の風紋にうっすらと積もった雪」と、微妙な違いはあるものの、4軒のお店は、鳥取の風土を愛する気持ちをお菓子に表現し、昔ながらの製法とお店の味を個性豊かに受け継いでいるのです。

 生姜せんべいは、鳥取県東部地区では有名な駄菓子ですが、初めて鳥取県を訪れたお客様がお土産品として購入することは少ないかもしれません。しかし、鳥取県のリピーターになられた方は、次回のお土産品にされてはいかがでしょうか。やみつきになる味かもしれませんよ。鳥取県内の伝統的なお菓子は、なぜか昭和の風情が感じられます。生姜せんべいも、一口食べると、パリッと歯ごたえのある食感と、生姜蜜の甘さと辛さが舌先に広がる感覚が、もう、たまらないのです。是非、一度、いや何度でもお買い求めください。

*朱印船貿易という懐かしい?歴史用語がでてきています。簡単に説明します。江戸時代の初期のころ、つまり、徳川家康が将軍だったとき、朱印状(朱印が押印された公文書のこと)を受け取り、海外との貿易を許可された船(=朱印船)によって、東南アジア諸国との貿易がさかんに行われました。その当時の貿易を朱印船貿易と呼んでいます。

*ブログは日本海テレビで放送された「新ふるさと百景」を参考にして作成しました。

*生姜せんべいは、ブログで紹介したお店に行かれたら、もちろん購入できます。鳥取市内のスーパーでも販売していますが、品ぞろえは少ないと思います。鳥取駅の目の前にある、丸由百貨店(旧大丸百貨店)のデパ地下で購入するのがいいかもしれません。