農家民宿 梨楽庵ブログ

山陰海岸ジオパーク(兵庫県)

風景

  穴見(あなみ)海岸は海底火山が隆起した現場です

 白っぽい塔のような部分は安山岩の溶岩です

猛暑にも関わらず、多くの家族連れが訪れていました

 水族館は大人も子どもも楽しめる観光スポットです

日和山(ひよりやま)海岸の景観です。遠くに見えるのが丹後半島です。左上の島が後ケ島(のちがしま)です

  後ケ島には浦島太郎伝説が伝わっています

 圧倒的な存在感がある玄武洞です。是非この場所にたたずんでください

       玄武洞の正面左側の様子です

       玄武洞の正面右側の様子です

  青龍洞です。大自然の造形美に驚かされます

青龍洞の柱状節理はここでしか見ることができません

北朱雀洞です。玄武洞公園では5つの洞が見られます

溶岩が冷えて収縮すると割れ目ができ、その形が五角形や六角形になるそうです

新温泉町山陰海岸ジオパーク館前の風景です。海に突き出た部分が「鬼門崎(きもんざき)」です

「鬼門崎(きもんざき)」は日本列島がまだアジア大陸の一部だったころ、火山活動でできた約7000万年前にできた流紋岩だそうです。約7000万年前の姿を見ることができるなんて、信じられません!

山陰海岸ジオパークは、鳥取県、兵庫県、京都府が範囲です

日本列島は約7000万年前に大陸から分離しました。赤色部分が山陰海岸ジオパークエリアです

   約2000万年前に日本海が形成されました

 昨年9月にホームページを立ち上げて以来、ブログを通して鳥取県内の見所を紹介しています。発信するためには、現地取材をもとに、書籍やネット等を活用してまとめています。7月から8月にかけて、山陰海岸国立公園に含まれる夏の人気観光地、「浦富海岸」を取り上げました。

 浦富海岸は、これまでにも何度か訪れたことはあるのですが、遊歩道を再訪して陸側からの景観に感動し、観光遊覧船に乗船して海側からの景観に圧倒され、初めて小型船遊覧を体験して、浦富海岸の風景美に魅了されてしまいました。

 おそらくは、風景をただ眺めているのではなく、後で取材発信することが念頭にあったので、船頭さんのガイド説明にも熱心に耳を傾け、目の前の風景からも自分なりの発見をしようと心がけていたので、浦富海岸に対する捉え方が深まり、魅力の深読みが少しはできたからではないでしょうか。

 浦富海岸を調べているうちに、山陰海岸国立公園や山陰海岸ジオパークについてさらに興味がわいてきたのです。山陰海岸国立公園は、東は京都府網野海岸から始まり、西は鳥取砂丘までの約75㎞の範囲です。そして、山陰海岸ジオパークは、鳥取県と兵庫県と京都府にまたがる山陰海岸国立公園とその周辺からなるジオパークです。

 山陰海岸ジオパークの範囲をもう少し説明すると、東は京都府京丹後市から始まり、西は鳥取県鳥取市までの、東西約120㎞、南北最大約30㎞にわたる広大な範囲です。鳥取県内では、浦富海岸地域と鳥取砂丘地域と浜村から青谷にかけての地域が認定されています。

 山陰海岸ジオパークは平成22年にギリシャで開催された国際会議で認定されました。ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な美しい地質遺産を含む自然公園のことです。ジオパークは自然遺産を保護するだけでなく、その地域で行われているガイドの育成や地域振興策などの継続的な活動も重視されていて、4年に1度の見直しがされています。

 さて、前置きが長くなってしまいました。ブログ発信は原則、鳥取県内に決めていましたが、山陰海岸ジオパークに認定されている兵庫県や京都府はどんな場所なんだろう、出かけてこの目で見てみたい、との思いが日に日に強くなったのです。

 そんな思いを抱いていたある朝のことです。新聞を広げ、TV欄を眺めていると、「ジオ・ジャパン絶景100の旅」という番組欄が目に留まったのです。何を取り上げているのかな、TVをつけて番組内容を調べてみると、「山陰海岸」が取り上げられていたのです。

 予約録画をして、早速その夜視聴しました。番組では主に兵庫県の北部、但馬地方が紹介されていました。但馬地方を訪れたのは、20年以上前に湯村温泉に2回出かけたことと、30年以上前に天橋立を訪れた時、延々と続く国道178号線をドライブしただけでした。その頃はジオ・ジャパンで取り上げられているような地質についての興味関心はなかったので、くねくねと続くリアス式海岸の海岸風景に目を向けることもありませんでした。

 番組では但馬地方の海岸風景が次々と映し出されていました。浦富海岸とはまた一味違った絶景海岸に目が釘付けになってしまいました。但馬地方の海岸にも日本列島が大陸から切り離された頃に形成された貴重な地質が残されていたのです。

 思い立つ日が吉日、よし、この目で見てこよう。8月下旬の平日の快晴の日、「いざ但馬!」と意気込んで、一番の目的地を城崎温泉の近くにある「玄武洞」に定めました。「玄武洞」といえば、私たちの世代にとってはお菓子の「ロミーナ」が浮かんできます。TVコマーシャルで流れる「玄武洞のロミーナ」は、お洒落な名前が印象深く、私のこども心に焼き付きました。しかし、玄武洞=ロミーナであり、ジオパークとしての玄武洞とは長い間結びつきませんでした。

 浦富海岸のある岩美町の東浜ICを過ぎると、あっという間に兵庫県に入ります。しかし、山陰近畿自動車道はまだ全面開通していないので、居組(いぐみ)ICから浜坂ICまでは約7.6㎞ほど一般道を走らなければなりません。面倒だなあ、と思いつつ、減速して居組ICを下りて、1分ほど走っていると、突然、海が見えてきたのです。何とそこは穴見(あなみ)海岸と呼ばれるジオパークの名所のひとつだったのです。展望所に駐車して沖合の風景を眺めると、確かに溶岩で形成された岩石海岸が広がっていました。

 案内板によれば、穴見海岸は、海底からマグマが噴出し、噴火が繰り返されて海底火山が形成されたそうです。その後に地殻変動によって海底が隆起し、海上に現れた安山岩などの溶岩が日本海の荒波によって削られて現在の姿になったそうです。穴見海岸については予備知識がなかったので、新鮮な感動を受けました。

 浜坂ICからは城崎温泉のある豊岡市に向けて車を走らせたのですが、佐野ICから再び一般道を約10㎞走らなければなりません。高速道路の部分開通の不自由さを改めて感じました。しかし、但馬地方の地形を考えれば仕方ないのかもしれません。高速道路を走っていて気が付いたのですが、開通区間の大部分はトンネルでした。陸地が海側に迫るリアス式海岸地形なので、一般道はくねくねと曲がりくねった道でした。高速道路はスピードを出すために直線的に作る必要があります。なので、山を削ってトンネルを掘り続けるしか方法はなかったのです。

 梨楽庵から1時間40分ほどで豊岡市内に到着し、玄武洞をめざしました。ところが、案内表示を見間違えたのか、円山川に沿って走っていると城崎温泉に到着しました。城崎温泉には、ずいぶん昔に一度だけ来たことがありましたが、宿泊したことはありません。帰路に立ち寄ることにして、10分ほどで辿り着ける景勝地「日和山(ひよりやま)海岸」へ行くことにしました。

 日和山は水族館のある城崎マリンワールドが人気スポットでした。平日だったのですが、夏休み期間中だったので多くの家族連れで賑わっていました。日和山海岸はジオスポットの一つで、火山活動によって形成された岩石からなるリアス式海岸でした。海岸の沖合には島が見え、竜宮城のような建物が造られていました。不思議に思いパンフレットを見ると、島は「後ケ島(のちがしま)」と言われ、何と、浦島太郎にまつわる伝説が残っている島だったのです。ここでもまた、予備知識のないことによる新鮮な感動を得ることができました。

 日和山海岸を後にして、玄武洞に向かったのですが、せっかくなので城崎温泉街に立ち寄ることにしました。平日でしたが、駐車場は満車だったので、車をゆっくりと走らせながらの見学にしました。

 城崎温泉は、街中を流れる大谿(おおたに)川の両岸を中心に、温泉街が広がっていました。柳並木の両岸には、土産物店や飲食店、老舗の旅館などがひっきりなしに立ち並び、見事な温泉情緒が醸し出されていました。さすがは全国に知られた歴史ある名湯です。城崎温泉は外国人にも人気の温泉地だと聞いていましたが、その通りでした。外国人観光客もたくさん見かけました。今回は日帰りの日程だったので、次回は城崎温泉を目的に再訪したいと強く思いました。昼間とは異なる夜間の独特な温泉街の雰囲気を味わってみたいものです。

 城崎温泉を立ち去るのは名残惜しかったのですが、玄武洞へ車を走らせました。玄武洞は円山川を渡って城崎温泉からおよそ5分の所にありました。玄武洞周辺は、玄武洞公園として整備されていました。受付で支払いを済ませ歩いていると、すぐ目の前に圧倒的な存在感のある溶岩壁でできた洞窟が見えてきました。それが「青龍洞」でした。

 玄武洞公園では青龍洞、白虎洞、朱雀洞など5つの洞窟が見学できます。溶岩が冷えて固まるときにできる柱状節理(割れ目)を明瞭に確認できるのが青龍洞です。案内板によれば、今から300万年前頃から1万年前頃まで、但馬地域一帯では火山活動が活発に起こっていたそうです。そして、玄武洞付近は約160万年前の火山噴火で流れ出た溶岩によって形成されたそうです。

 1807年(文化4年)、ここを訪れた江戸後期の儒学者・柴野栗山(しばのりつざん)は、岩石が作り出す節理の形や断面の模様から中国の妖獣(ようじゅう)「玄武」を思い浮かべ、「玄武洞」と名付けたそうです。そして、1884年(明治17年)、東京帝国大学の小藤(ことう)文次郎博士は、玄武洞にちなんで、同様の岩石を「玄武岩」と名付けたそうです。

 江戸時代には、玄武洞周辺の岩石は採石場として開発されたそうです。玄武洞などの5つの洞は景勝地として知られ、特に、玄武洞と青龍洞は節理の美しさや学術的な重要性から、1931年(昭和6年)に国の天然記念物に制定されました。玄武洞は山陰海岸国立公園に含まれ、日本の地質百選にも選定されています。そして、もちろんですが、山陰海岸ジオパークにも含まれているのです。

 玄武洞が国際的レベルで学術的に重要なのは、この地が世界で初めて地球の磁場が逆転していた時代があったことが発見された場所だからです。1926年(大正15年)、京都帝国大学教授、松山基範(もとのり)博士は、約160万年前の火山噴火により流れ出た玄武岩が、現在の地球の磁場とは反対を向いていたことを発見したのです。その時代は「松山逆磁極期」(約260万年前~約77万年前)と呼ばれ、この発見は地球科学の発展に大いに貢献したのです。

 案内板で学習しながら玄武洞公園内を見学し、小さな写真でしか見たことのない溶岩壁をカメラに収めたのですが、この景観から伝わる迫力は現地で直接見ない限りは伝えることができないと感じました。私より先に訪れていた一人の中年男性は、かなり長い時間ずーと玄武洞を眺めていました。ここでしか見られない大自然が作り出した造形物に心を奪われ立ち去りがたかったのかもしれません。

 玄武洞を堪能し、昼食は豊岡市内の王将で、夏期限定の「マーボーなすラーメン」を食べました。予想以上に美味しかったので大満足でした。帰路は再び国道178号線をひた走り、トンネル続きの山陰近畿自動車道を突っ走り、浜坂ICを下りてひと休憩しました。時計を見るとまだ午後2時前だったので、浜坂漁港の近くにある「新温泉町山陰海岸ジオパーク館」に立ち寄ることにしました。

 館内には様々な写真パネルや実物の岩石がたくさん展示されていました。ジオパークは自然遺産を保護するだけでなく、ガイドの育成やジオパークを活用した地域振興のための継続的な活動も重視しています。なので、展示物には工夫が凝らされ、地元の小中学生の学習の場としても活用されていました。

 日帰り日程だったので、ゆっくりと見学する余裕はなかったのですが、ジオパークを紹介する映像を2本視聴しました。鳥取県の岩美町にある「山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館」で視聴した映像も素晴らしかったのですが、こちらの映像も山陰海岸の魅力を十分に堪能することができる内容でした。視聴したことで、ますますジオパークについて興味関心が高まってきました。

 映像を見ると、生で体験したくなってきます。浦富海岸では遊覧船観光ができたので、職員さんに尋ねてみたところ、浜坂漁港を出港し、但馬海岸を遊覧できる観光船が数年前まで営業していたそうですが、今は廃業してしまったそうです。もしかしたら、コロナ感染症の蔓延に伴う観光客の激減が影響したのかもしれません。

 遊覧船以外の方法はありませんかと尋ねると、3人から4人が乗船できる海上タクシーが営業していることを教えてくれました。翌日、連絡先に問い合わせると、確かに営業されていました。残念ながら営業期間は波が比較的穏やかな9月までということでした。海上タクシー乗り場は浜坂駅から30分ほどかかるそうですが、この夏にジオパークに目覚めた私としては、来年の夏に向けて新たな目標ができて今からワクワクしています。

 なんとも長い山陰海岸ジオパーク但馬編になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

*地磁気…地球はひとつの大きな磁石としての性質を持っています。棒磁石のように、地球にもN極(南極にある)とS極(北極にある)があり、地球の周りには磁力の世界、「磁場」ができています。これを地磁気と呼んでいます。そして、地磁気の逆転とは、N極とS極が入れ替わることを言います。長い地球の歴史の中では地磁気の逆転が何度も起きているそうです。

*朗報です!9月12日(木)の地元紙に、山陰海岸世界ジオパークが再認定され、2028年まで継続することが決定したと報道されていました。7月に再認定の審査のために国連教育科学文化機関(ユネスコ)の審査員2名が鳥取県、兵庫県、京都府のジオサイトを視察していました。

 ユネスコの審査員が訪問した場所は、玄武洞(兵庫県豊岡市)と山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館(鳥取県岩美町)と鳥取砂丘(鳥取市)でした。私がこの夏にブログ作成のために訪れた場所と一緒だったので驚きました。9月8日~9日までベトナムで開催された第9回ユネスコ世界ジオパーク・カウンシルで審議され、再認定となったようです。*カウンシル(審議会の意味です)