たたら製鉄って何ですか?
梨楽庵

鎌倉時代以降は屋外で鉄がつくられていました。これは「野だたら」と呼ばれていました

室町時代の末ごろから、高殿と呼ばれた建物の中で鉄づくりが行われるようになりました

高殿の中の製鉄炉で行われた鉄づくりを「たたら製鉄」と呼ぶようになりました

中国地方は鉄づくりの原料となる「砂鉄」が大量に産出できました

たたら製鉄で使われた砂鉄の一つが「真砂砂鉄」でした

たたら製鉄で使われたもう一つの砂鉄が「赤目(あこめ)砂鉄」です
現在の鳥取県伯耆町を流れる野上川で「川砂鉄」を採っているようすです。大正時代の初めごろの貴重な写真です

川砂鉄の採集に使われた「川船」です。奥出雲たたらと刀剣館の入り口に展示されていました
たたら製鉄では大量の木炭が必要でした。たたら製鉄の経営者は「山林王」だったのです

木炭の品質も鉄製品の品質を左右する重要な原料でした。たたら製鉄では「大炭(おおずみ)」が使用されました

大炭(おおずみ)は木炭窯で山子(やまこ)が焼いていました

炭には大きく分けて、たたら炉で使われた「大炭(おおずみ)」と鍛冶場で使われた「小炭(こずみ)」と家庭用で使われた炭がありました

大炭の原木としては、松、栗、槙が良いとされていました
たたら製鉄は日本刀を作る仕事だろうな、と生半可な知識しか持ち合わせていませんでしたが、調べるにつれて、たたら製鉄による鉄の生産が江戸時代から明治初期にかけて日本の歴史の中で重要な役割を担ってきたことがわかってきたのです。
それでは、たたら製鉄とはどんなやり方で鉄を作るのでしょうか。現在、製鉄所の高炉で鉄を作るには、主原料として「鉄鉱石」と「石炭」からつくられるコークスと少量の石灰石が必要です。一方、たたら製鉄の主原料は「砂鉄」と「木炭」です。たたら製鉄で「木炭」が必要なのは、木炭を燃焼することで、砂鉄に含まれる不純物を取り除き製錬するためです。同様に、製鉄所でコークスが使用されるのも鉄鉱石を製錬するためです。
すでにブログで紹介しましたが、中国地方の奥山で鉄がつくられた最古の記録は、733年に編纂された『出雲国風土記』に記述があります。さらには、927年に編纂された『延喜式(えんぎしき)』呼ばれる平安時代の法律には、都へ鉄や鍬を納めることが定められていたのです。つまり、10世紀ごろには中国地方は鉄の一大産地だったのです。
鎌倉時代から室町時代にかけては、「野だたら」と呼ばれ、屋外で鉄の製造が行われていたようです。その後も試行錯誤が重ねられ、室町時代の末ごろには「鉄穴流し」が行われ、田部家の菅谷たたら山内で紹介した「高殿(たかどの)」と呼ばれた建物の中で、天候に左右されない鉄づくりが行われ始めたのです。そして、高殿の中の製鉄炉で行われた鉄づくりを「たたら製鉄」と呼ぶようになったのです。
たたら製鉄は江戸時代初期から明治時代の中期にかけて、中国地方で最盛期を迎えました。鉄づくりの主原料となる「砂鉄」が中国山地で大量に産出できたからです。中国山地には広範囲にわたって「花崗岩」が分布しています。この花崗岩には砂鉄が含まれています。花崗岩は風化作用によって、もろくて崩れやすい性質があるため、風化の進んだ花崗岩を切り崩し、「真砂土(まさつち)」から砂鉄を採取するために、中国山地のあちこちで「鉄穴流し」が行われたのです。鉄穴流しについては既に紹介していますので割愛します。
鉄鉱石に含まれる鉄分は、高品質の鉄鉱石で50%~65%です。一方、砂鉄は母岩中に0.5%~3%程度しか含まれていません。しかも、粒子の大きさは0.1~1ミリほどです。そのために、花崗岩に含まれる微細な砂鉄を採り出すために行われた鉄穴流しでは、山を切り崩した膨大な量の土砂が選鉱場に流され、鉄分を取り除いた土砂は谷川へと大量に流され続けたのです。
鉄穴流しによって、山の姿も変わってしまったと言われるのは決して大げさな表現ではないのです。
砂鉄には、山砂鉄、川砂鉄、浜砂鉄の3種類があります。風化した花崗岩の真砂土を選鉱して採取したのが山砂鉄です。川に流れた土砂から採取したのが川砂鉄で、海岸に流され砂浜に堆積した砂鉄を浜砂鉄と呼んでいます。山砂鉄は均質で質が良いのに対して、川砂鉄や浜砂鉄はいろいろな種類の砂鉄が混じり合っているので、品質は劣ります。
たたら製鉄の原料となる砂鉄は、「真砂(まさ)砂鉄」と「赤目(あこめ)砂鉄」の2種類あります。真砂砂鉄は粒子が粗く、色合いは漆黒色です。赤目砂鉄は粒子が細かく、色合いは赤みを帯びています。たたらの操業が始まると、2種類の砂鉄が作業工程に応じて使い分けられました。
冒頭で紹介しましたが、たたら製鉄では砂鉄を燃焼することで不純物を取り除き、純度の高い鉄をつくるために「木炭」が必要です。しかも木炭は大量に必要なため、たたら鉄山経営者は広大な山林を所有していました。一ヶ所のたたら製鉄炉で使う一年分の炭を供給するためには、60haの山林面積が必要とされました。これを甲子園球場に換算すると、何と、15個分に相当するのです。
奥出雲の松江藩御三家や伯耆国随一の鉄山経営者だった近藤家は、数か所のたたら製鉄炉を経営していました。そのため、今では信じられないくらい広大な面積の山林所有者だったのです。
たたら製鉄で使用する木炭には、大炭(おおずみ)と小炭(こずみ)がありました。大炭はたたら用で小炭は鍛冶用でした。大炭の原木は、松、栗、槙(マキ)が良いとされました。大炭は炭焼き頭を中心に、山子(やまこ)が木炭窯で焼いていました。大炭の良し悪しが製品の品質を左右するので、全てをたたら場で管理し生産していたのです。
今回のブログでは、たたら製鉄の主原料の「砂鉄」と「木炭」を中心に報告しました。
