農家民宿 梨楽庵ブログ

倉吉千歯再生プロジェクト

梨楽庵

明治から大正にかけて全国一の生産量を誇った倉吉の千歯扱き

  倉吉歴史民俗資料館に展示されています

 1月下旬のブログで紹介しましたが、明治から大正時代にかけて全国一の生産量を誇り、倉吉の千歯扱きは隆盛を極めました。しかし、足踏み脱穀機の発明によって、脱穀の効率性に劣る千歯扱きは急速に衰退していきました。

 倉吉の鍛冶町を中心に鍛冶屋を営んでいた業者も次々と転業や廃業に追い込まれたのです。現在、鍛冶町に鍛冶屋さんは一軒もありません。

 倉吉歴史民俗資料館に展示されている稲扱き千歯を見ていると、なぜか寂しさを感じてしまいます。目の前にある千歯扱きは、時代の流れの中で、確かに役目を終えて、今は歴史の資料としての新たな役目を果たしています。

 しかし、千歯扱きを過去の遺物としてしまうのではなく、再生することはできないだろうか、と倉吉の千歯扱きの歴史について調べているうちに感じるようになったのです。

 年明け以降、このことを折にふれて考えていた時、ふっと「倉吉千歯再生プロジェクト」が浮かんできたのです。倉吉千歯は脱穀機の機能は終えましたが、独特な形状を「デザイン」として生かすことができないだろうか、と考えたのです。

 ずーと、以前のことですが、初めて千歯扱きの実物を見た時、角材の上に、ぎざぎざの細い鉄板が並んでいる姿に妙に心が魅かれたことを思い出します。その後、それが農作業の負担軽減に役立った農機具であり、倉吉が一大生産地だったことを知りました。

 倉吉は伝統工芸品として「倉吉絣(かすり)」が有名です。倉吉絣は江戸時代末期に、稲島大助が花鳥、山水、吉祥などの文様を織り込んだ絵絣(えがすり)と呼ばれる織物です。

 明治時代になると、丈夫で質素な風合いが評判となり、倉吉千歯の行商人によって全国に広められ、年間3万反も生産していました。

 しかし大正時代になると、他の産地による機械化によって織られた安価な絣が普及するようになりました。倉吉絣は高度な技術が必要だったので機械化することが困難だったのです。

 時代の波に飲み込まれ、倉吉絣は衰退の一途をたどりました。戦後の頃は、織り方もわからない状況でした。

 一度は廃れかけた倉吉絣でしたが、地元の染色家、吉田たすく氏が苦心の末に復活させられました。その後、福井貞子さんを中心に倉吉絣保存会が結成され、今では海外へも展示会が開催され好評を博しています。

 

倉吉の観光名所「白壁土蔵群」の近くに「倉吉ふるさと工芸館」があります。倉吉絣の展示と販売を行っています

絣に関心のある方にとっては購買意欲が高まる空間です

 この倉吉絣のデザインに千歯扱きを絵柄として取り入れたら面白いのではないかと私は考えたのです。倉吉絣は現在進行形で生き続けています。この倉吉絣の活力をいただいて、倉吉の千歯扱きを復活させてみてはどうでしょうか。

 倉吉絣の着物のデザインには合わないかもしれませんが、倉吉絣のTシャツを作り、その背中の絵柄にもってきたらどうでしょうか。倉吉のアピール文字も入れると、お土産品としても人気商品となるかもしれません。私案を作ってみましたので、ご覧ください。

 千歯扱きのデザインは、暖簾や手ぬぐいやタオルにも活用できると思います。倉吉絣風の紙に千歯扱きのデザインを入れた包み紙を作るのはどうでしょうか。あの形状ならば、文鎮にもできると思います。

 倉吉千歯の行商人のおかげで明治時代に倉吉絣が一世を風靡しました。今度は倉吉絣が倉吉千歯を新たな形で現代に蘇らせてはどうでしょうか。

 2025年は巳年ということで、年初めから「脱皮」「脱皮」と叫ばれています。倉吉千歯を過去の遺物にしておくのではなく、周知を集めて倉吉市の活性化に生かしてみてはどうでしょうか。

   こんなTシャツを考えてみました

 どなたかより素晴らしいデザインを考案してください!