東郷池?東郷湖?再再考
梨楽庵

「東郷池?東郷湖?どっちなの」問題がさらなる深みへはまってしまいました。この状況を五里霧中というのでしょうか。霧中の中を何とか抜け出す手掛かりはないのでしょうか。
暗中模索していると、博物館の学芸員さんから見せていただいた『鳥取県全図』のことを思い出しました。一枚物のこの地図は、平凡社「日本歴史地名体系特別付録」として作成された『輯製(しゅうせい)二十万分一図復刻版鳥取県全図』でした。
解説文を読むと、「輯製(しゅうせい)二十万分一図」は明治初期における日本の代表的な地図の一つで、参謀本部陸軍部測量局で明治17年(1884年)から着手された事業でした。
当時現存していた伊能忠敬の地図は陸地の輪郭と主要街道だけであり、幕命によって作成された国絵図は村の位置と距離の記載が主であり、そのままでは使用できないと判断されました。
「輯製(しゅうせい)二十万分一図」は、忠敬の地図と国絵図の欠点を補うために、内務省地理局・地質調査所・海軍水路部などで作成された地図を参考資料として編輯し、製作された最新の地図でした。
その後、正式な地形図から編纂された『二十万分一帝国図』が完成すると、廃止されましたが、驚くことに、昭和36年(1961年)頃まで一部はその姿を変えて生きながらえていたそうです。
さて、平凡社が復刻作成した「鳥取県全図」には、“池”?“湖”のどちらが記載されていたと思われますか。答えは、“東郷池”でした。皆さんはどのように感じられましたか。江戸時代の諸資料を検討した明治政府の結論が“東郷池”だったのです。

五里霧中から抜け出すはずだったのに、新たな謎が待ち構えていました。参謀本部が“池”を選択した根拠はわかりません。なので、ここからは思考の翼を想像力の風力を借りて考えるしかありません。
まず、私は全世帯を対象にアンケート調査を行った結果をもとに、「町は正式名称を国土地理院による“東郷池”のままとすることとし、今後は特別な場合を除き“東郷池”を使用します」という決定を支持したいと思います。
さらには、「団体などが“東郷池”または“東郷湖”のどちらを使用するかを強制しません。愛称としてどちらでも使用していただければよいと考えています。」と柔軟な判断をしています。最適解ではないでしょうか。
これまで見てきたように、“東郷池”なのか“東郷湖”なのかの根拠を考える際、歴史を紐解いてみると、江戸時代に幕命によって国絵図の作成が命じられたということは、鳥取藩が現地調査を行った上で、正式に承認しているということです。
正保年間(1644年~1688年)は鳥取藩主初代池田光仲の治世の時であり、万事手抜かりがないように詳細に現地調査が行われたにちがいありません。だからこそ作成までに4年もの歳月が必要だったのです。

正保の国絵図以降に作成された元禄の国絵図も天保の国絵図も、再調査をして修正を加えながらも、原則として正保の国絵図の前例を踏襲し、“東郷池”と記載したと思われます。明治になり参謀本部が作成した『鳥取県全図』にも“東郷池”と記載されたのは、やはり、国絵図が決め手になったのではないでしょうか。
では、なぜ忠敬は“東郷湖”と測量日記に記し、地図に記載したのでしょうか。この件については記録がないので想像するしかありません。東郷湖(池)を測量した忠敬が宿泊したのは橋津の豪商「天野屋」であり、隊員たちは「久世屋」(戸崎家)に宿泊しています。

あくまで私見ですが、忠敬は天野屋の当主、中原与兵衛と歓談する中で、湖(池)の名称を尋ねたはずです。次のような会話がなされたのかもしれません。
「ところで与兵衛さん、あの湖水は何と呼んでいますか」
「はい、忠敬様、ここらでは東郷池と呼んでいますが…」
「そうですか、私は測量するために全国各地を回っていますが、あの湖水のように、周囲を山に囲まれたところは“湖”を付けて呼んでいますが…つまり、“東郷湖”と私の地図に記載してはいけないでしょうか。」
「あ!そうですか、忠敬様がおっしゃるのなら“東郷湖”でよいのではないでしょうか…」
「与兵衛さん、では、そのようにさせていただきます」このような会話があったのかもしれません。
漢和辞典で調べて見ると、“湖”の文字の“胡”は「巨に通じ、大きいの意味」を表し、“湖”とは「大きな池」の意味です。忠敬のような博学な知識人から見れば、小さな池ではなく大きな池なので“東郷湖”と判断したのではないでしょうか。……あくまで私見です。
もう一つ疑問点があります。国土地理院の担当者の方は、NHKの取材に対して、「東郷池という名称は、合併する前の東郷町と羽合町の意見を聞いて決めました」と説明されました。
おそらくは、旧東郷町と旧羽合町の町民の多くが、子どもの頃から家族を通して“東郷池”と伝え聞いてきたので“東郷池”の名称に慣れ親しんでいたからではないでしょうか。
さらにもう一つ疑問点があります。では、アンケートで“東郷湖”と回答した方は、なぜ“東郷湖”と答えたのでしょうか。これも私見ですが、東郷池の周辺地域が県立公園に整備されて以降、『東郷湖羽合臨海公園』の案内板があちこちに設置されました。

ハワイ夢広場の案内板も地図中には東郷池と記載されています
案内板を見た人は、“東郷湖”と書かれているので、目の前の「みずうみ」は“池”ではなく、“東郷湖”なんだと認識するようになったのではないでしょうか。
しかし、小中学校で学習する社会科の地図帳には、現在も“東郷池”と記載されています。なので、大人になってからも“東郷池”と認識している人の方が圧倒的に多いのかもしれません。
最後の疑問点です。なぜ県は県立公園名を『東郷湖羽合臨海公園』と名付けたのでしょうか。真意はわかりませんが、公園名としては『東郷池羽合臨海公園』よりも『東郷湖羽合臨海公園』の方が“語呂がいい”からだったのではないでしょうか。…あくまで私見です。
東郷池なのか、東郷湖なのか、名称問題を引っ張り過ぎた感がありますが、この話題は過去に何度も取り上げられたことなので、再燃することもあります。なので、ブログを通して経緯を残しておこうと考えました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

旧羽合町側(浅津公園)から眺めると、山々に囲まれた湖に見えます

ところが、旧東郷町側から眺めると、山々に囲まれている感じはしません。もしかしたら、東郷池(湖)を眺める視点の違いが同じ湖水を眺めても、“池”と感じたり“湖”と感じたりしたのかもしれません。
