晩秋の観音院庭園②
風景

縁側から眺める景観が見事ですが、池の上からの眺めも何とも言い難い美しさです
京都には名庭園がたくさんあるのですが、名庭園と呼ばれるポイントの一つが借景の取り入れ方ではないでしょうか。天龍寺は嵐山を借景とした名園です。左京区岩倉にある圓通寺は比叡山を借景としています。
明治時代の元老山縣有朋の別荘“無鄰菴(むりんあん)”の庭園は、東山を借景として作庭されていて、日本庭園の傑作の一つと言われています。冒頭で紹介した足立美術館も背後の山を借景とした名園なのです。
観音院のパンフレットを読むと、観音院の前身は、「雲京山観音寺」であり、寺地は現在の鳥取県庁近くの「栗谷(くりだに)」だったそうです。しかし、鳥取藩が直接管理する“御用地”となったため、寛永16年(1639)頃に、今の「上町」に移り、「観音院」に改称したそうです。替地としてこの場所を選定した造園家の眼力に尊敬の念を抱きます。
私は若いころから京都が大好きで、教職に就いてからも長期休暇を利用しては妻と度々京都巡りをしていました。四季折々の京都通いは20年余り続いたのでないでしょうか。休日も部活指導や授業の準備等で休むことができなかった当時の私にとっては、二泊三日の京都旅行は最高の癒しとなっていたのです。
庭園鑑賞も趣味の一つだった私にとっては、京都の庭園こそが1番と思っていたのです。ところが、令和になってからコロナ感染症が蔓延し、日常が激変しました。海外旅行だけでなく国内旅行さえも控えなければ命が危ない状況となったのです。
もちろん京都通いなどできません。そんな時、フッと心に浮かんだのが、観音院庭園でした。超多忙で京都に行けないときに訪れた観音院に出かけた時の感動が蘇ってきたのです。京都に行けないなら、「そうだ!観音院へ行こう!」

庭園鑑賞の趣味のおかげで少しだけ目が肥えていたのか、久しぶりに対面した観音院庭園は、より一層美しく、素晴らしい庭園に見えたのです。「何でこんな素晴らしいものが身近にあるのに、遠くの京都ばかりに目が行っていたのかなあ…。これもまた、“灯台下暗し” のことわざの通りなのかなあ…。」意外なことに、コロナ禍によって私は観音院を再発見したのです。
12月2日に訪れた時、私と同年代と思われるご夫婦が観音院の庭園内を散策していました。あいさつを交わしてから「どちらからいらっしゃいましたか?」と尋ねると「千葉県からです」とのお返事。
そんな遠方から、しかも観音院を知っていて来られたのかな、と疑問に思い、「観音院のことよくご存知でしたね?」と問うと、「鳥取に行くと言ったら、観音院、是非、と紹介されたからです」とのお返事でした。

左手側が散策路、巨木の見事な紅葉に圧倒されます

見上げると、モミジの天井画を堪能できます

“池紅葉”です。池には青空も映し出されています
近年、海外や日本国内の有名観光地は、オーバーツーリズムで悩まされています。私が京都通いで夢中になっていた頃も、連休や祝祭日はどこも観光客で溢れかえっていましたが、今はそれ以上の混雑状況のようです。
オーバーツーリズムの緩和のためにも、地方への観光客の誘致が叫ばれていますが、目玉となる主要観光地を卒業した人でないと、なかなか地方へは足を延ばさないのではないでしょうか。
でも、でも、地方へ観光客を呼び込むためには、そのもの自体が持っている真価を地道にアピールしていくことが大切なのではないかと思います。微力かもしれませんが、私がブログで鳥取発信をしているのは、そんな思いがあるからなのです。
「地方」は「都や中央」から離れているから価値がないのではないのです。地方にも、そこにしかない価値があるのです。地方創生が声高に報道されていますが、地方に住んでいる私たち自身が足元にある宝物に気づき、新たな価値づけを“創”り、“生”み、育てなければならないと私は考えています。
国の内外で激動の時代を迎えた今だからこそ、豊かな“鳥取時間”を過ごして、心身の英気を養っていただけたら最高です。梨楽庵が少しでもお役に立てたら無上の喜びです。
梨楽庵から観音院までは直行すると、40分ほどで到着します。鳥取駅前からはタクシーで8分ほどです。鳥取市にお越しの際は、是非とも市内観光の旅程に入れていただけるとありがたいです。

*観音院庭園は鳥取市にあります
〈 追記 〉
観音院の借景となっている源太夫山(げんだゆうさん)の名前の由来は、江戸時代に白井源太夫(しらいげんだゆう)という剣豪がいて、月明かりの夜には観音院の東の裏山で尺八をかなでたことから、現在の源太夫山(げんだゆうさん)という名がついたと言われています。
