日本一だった倉吉の千歯扱き④
梨楽庵

千歯扱きをつくる作業工程の中で最も重要なことは、千歯扱きの「目」をつくる作業だと角原翁は証言しています。目とは、穂と穂の間のすき間のことです。穂を台木に取りつけるとき、穂と穂の間隔の取り方と、台木への取りつけ方によって性能が決定したのです。
技術力の高い職人が取りつけた千歯扱きだと、「穂と穂の間に上から一銭銅貨を落とすと、穂先では少し引っ掛かり気味に落ちて行き、元に近づくとすうっとぬける。これが理想で、こうした作りになっていると、稲はサッサッと軽い音で小気味よく扱ける」と角原翁は語っていました。
第三の理由は、倉吉独自の販売方法があったからだと言われています。倉吉の千歯扱きは、他の農具と同じように、天下の台所と呼ばれた大阪を中心として、全国各地の問屋を経由する「店売り」がありました。
しかし、独自の販売方法として「行商」が行われていました。行商は旅商いとも言われ、交通機関が未発達で、消費者の身近な所に店がなかった当時においては効果的な販売方法だったのです。
千歯扱きは耐久期間が短く、3年~5年に一度は修理が必要でした。稲を扱くときに穂(刃)に力が加わり、穂と穂の間が広がったり、穂がぐらついたりしたからです。釘を締め直し、場合によっては台木を取り換えることが必要でした。
修理ができないときは農家の人たちは新品を購入しなければなりませんでした。倉吉の行商人は、古い千歯扱きの修理と新品の販売をセットにした当時としては画期的な販売方法を行っていたのです。
倉吉博物館には「古金屋」の屋号で千歯扱きを製造していた「赤島」という鍛冶屋の「稲扱千刃行商記録」が所蔵されていて、明治3年(1870年)に静岡県の中西部地区に行商に回ったときの様子を知ることができます。
赤島が残した「諸書控」という記録には、明治13年~15年にかけての行商の様子が書き残されています。明治13年(1880年)の行商先は、長崎県の五島列島で、約半年に及んでいます。
翌年は、青森県を回り、半年余りの日程でした。明治15年(1882年)の行商も半年余りの日程で、岩手県内を中心に回り、4名で出かけたことが確認されています。

『東日本の千刃扱きーその産地と伝播ー』朝岡康二氏より
長期の行商の場合は、出先に千歯扱きや修理用の部品を保管している拠点を設けていたようです。千歯扱きの修理には鍛冶の技術が必要なので修理道具を持ち運ばなければなりません。
商品の千歯扱きは重くかさばるので、大量に持ち歩くことは困難です。そのために、拠点を設けて、そこで修理をし、農家を回って直しや販売を行っていたのです。
倉吉博物館の展示品の中に、驚き感心した展示品がありました。何と、千歯扱きの雛形があったのです。雛形は台木の幅は20㎝ほどですが、サイズ以外は本物と同じ製造方法で作られています。
行商先へ千歯扱きをたくさん持ち歩くのは大変ですが、実物同様の雛形があれば売り込むには説得力があります。主任学芸員の関本明子さんのお話によると、この雛形は全国で唯一残された大変貴重なものだそうです。

千歯扱きの雛型です。台木には屋号の後に「無類飛切特別製伽羅鋼請合」と倉吉独特の飾り文字が書かれています(倉吉博物館所蔵)
倉吉の行商では、「掛け売り」が行われていました。稲刈り前には千歯扱きの修理と販売を行って手付金をもらい、稲刈りが終わってから残金を支払ってもらうやり方です。農家にとっても行商人にとっても有効な販売方法だったのです。
全国に名を知られ隆盛を極めた倉吉の千歯扱きでしたが、大正10年(1921年)頃を境に、鍛冶屋の多くが廃業に追い込まれました。それは「足踏み脱穀機」が開発されたからです。
足踏み脱穀機は、円筒型の扱き胴に逆V字型の針金をつけ、踏み板を踏むと回転する仕組みです。稲束を一把(いちわ)持ち、回転している扱き胴に当てて脱穀します。脱穀の効率が非常に良く、改良が重ねられ、大正時代の後半に全国に急速に普及したのです。

足踏み脱穀機(倉吉博物館所蔵)
倉吉の鍛冶町には、最盛期には関係者が500人ほどいて、そのうち200人を超える職人が働いていたと言われています。廃業後は千歯扱き以外の農機具製造を続ける店もありましたが、呉服屋などの異業種に転業した店も多かったようです。
倉吉の千歯扱きは、今は倉吉博物館の展示室に物静かに佇んでいます。千歯扱きを見つめていると、千歯扱きに関わった多くの人たちの語り声が聞こえてくるように感じられます。
今回のブログの作成にあたっては、『千歯扱き 倉吉・若狭・横浜 』(横浜市歴史博物館)に収録されている倉吉博物館主任学芸員の関本明子さんの論文から多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございます。

穂が弧を描くように取り付けられた「湾曲千歯」です。「扱く稲を千歯扱きに当てたとき、稲を握った手元と穂との間が等間隔になり、稲を引く力が均等にかかるようになっています。
倉吉の特許製品と言われています」(倉吉博物館主任学芸員の関本明子さんの論文より引用)明治の半ば以降、千歯扱きの改良が進められ、雛型も湾曲千歯になっています(倉吉博物館所蔵)
〈 追記 〉
参考文献等…『新編倉吉市史第2巻』(倉吉市1995年)『新編倉吉市史第3巻』(倉吉市1993年)『倉吉市史』(倉吉市1973年)『倉吉市誌』(倉吉市1956年)『倉吉町誌』(倉吉町1941年)『日本常民文化研究所調査報告第6集』『日本常民文化研究所調査報告第8集』(1981年)
