農家民宿 梨楽庵ブログ

久松山ってどんな山?①

風景

    鳥取市のランドマーク“久松山”

 もしも鳥取県外の方に、「この山は鳥取県にある山ですが、知っていますか?」と問いかけて、“久松山”と書かれたカードを見せたとしたら、どのような反応が返ってくると思われますか。おそらくは、「“ひさまつやま”と読むのでしょうか?それとも…?」と首を傾げながら、質問者の顔をのぞき込むのではないでしょうか。

 久松山は鳥取市のシンボル的な山で、“きゅうしょうざん”と呼びます。鳥取駅前から鳥取県庁方面に向かう若桜街道を車で走ると、すぐ前方に見える山が久松山です。

 江戸時代には鳥取藩池田家が城を築き、現在、久松山一帯は国の指定史跡となっています。久松山の麓の城跡は桜の名所として知られ、春の桜まつりには多くの花見客で賑わっています。

 鳥取城跡や鳥取県立博物館や、現在リニューアル中の仁風閣には何度も足を運んでいるのですが、ただ見上げるだけで一度も訪れていない場所がありました。それは久松山の山頂です。

 すでに2月から3月のブログで紹介していますが、戦国時代には久松山には堅固な山城が築かれ、羽柴秀吉の鳥取城攻めの歴史の舞台となった場所でした。見上げると山頂部には石垣も見えます。時には人影が動くようすも目視できるのです。

 春分の日の翌日は、快晴でした。いつでも行けるからと先延ばしにしてきた登山を、妻を誘ってついに実行しました。登山、と書きましたが、久松山は標高263mの低山なので、日帰り、いや、半日登山で往復することができます。

 江戸時代には山頂への登り道は3通りありましたが、今は、鳥取城跡の東隣にある長田神社の谷筋を登る東坂(ひがしざか)道と二ノ丸跡の稲荷神社の石段から登る中坂(なかさか)道があります。中坂は久松山の正面にあたる急峻な登山道なので、往路は東坂を登り、復路は中坂を下ることにしました。

 長田神社前の道を登り、しばらくすると、ヒノキ林と雑木が混在した森の中を歩きます。この辺りは整備された登山道ではないのですが、イノシシとの遭遇に気を配りながら、緩やかな上り坂を歩きます。

 15分ほど歩き続けると、分岐点に到着します。右に折れて東に向かうと秀吉が本陣を構えた“太閤ケ平”へ続きます。左に折れると久松山の山頂へとつながっています。分岐点を過ぎると少し急な山道になりますが、あまり負担感は感じませんでした。

 山頂付近が近づくと、戦国時代に築かれたと思われる石垣が散見されました。しばらくすると、視界が開けて山頂部に築かれた山城の城跡が見えてきます。往路の所要時間は45分ほどでした。

 当日は快晴だったので、山頂の本丸に築かれた天守台からの眺望は抜群でした。遠望すると、日本海の大海原も鳥取砂丘も湖山池も鷲峰山(じゅうぼうざん)も見えます。視線を左手に向けると、中国山地の山並みも眺めることができます。眼下には鳥取市街地や千代川(せんだいがわ)や麓に広がる平野の全域を見渡すことができるのです。

    鳥取砂丘の“馬の背”が見えます

中央部が千代川(右方向が日本海)、その奥が湖山池

 鳥取市の中心市街地です。左手の下が鳥取県庁です

 

    

車井戸(くるまいど)…慶長7年(1602)に山頂に掘られた井戸

 秀吉軍と対峙した毛利方の吉川経家は、久松山を「日本(ひのもと)にかくれなき名山」と評したと言われています。“かくれなき”とは、世の中に広く知れ渡っているという意味です。

 久松山が急峻な山容なため、防御性に優れているだけでなく、因幡国のほぼ全域を見渡すことのできる眺望のよさが軍事的な視点からも名山と評したのではないでしょうか。

  因幡国の中国山地も遠望することができます

 山麓に築かれた二ノ丸からの眺望もすばらしいです。鳥取市街地を一望することができます。しかし、山頂の天守台からの眺望を体験すれば、その驚きは倍増するのではないでしょうか。

 天守台からの圧倒的な絶景感は一体なんだろう。ふと、東京タワーの展望台の高さと比較してみようと思いました。調べてみると、東京タワーのトップデッキは約250mでした。久松山の標高は263mなので、天守台からの眺望は東京タワーの展望台から眺める感覚とほぼ同等だったのです。

 ( 次号へ続きます )