農家民宿 梨楽庵ブログ

東郷池に舞い降りた天女

梨楽庵

東郷池周辺は風光明媚なのでウォーキングの最適地です

 東郷池は、伯耆国(鳥取県中部・西部)の東側にある大きな池です。上から眺めると、鶴が羽を広げたように見えるところから、一名「鶴の池」という名称もあります。

 鉢伏山(標高約514m)からの東郷池の全景

   羽衣石城跡からの東郷池の景観です

 昔、この池のほとりに、「舎人(とねり)」という大変力の強い猟師が住んでいました。彼は毎日、海や山のものを取って暮らしていましたが、ある日のこと、東郷池の浅瀬に美しい天女が一人、水浴びをしているのを見つけました。

 現在、舎人川の周辺には5つの集落があります(舎人地区)

 舎人は、しばらくの間、その美しい天女にみとれてうっとりとしていました。しかし、やがて心が平静になると、近くに脱いであった天女の衣をそっと取って、隠してしまいました。

 さて、天女は水から上がって、衣を着ようとしましたが、置いてあるはずの場所に自分の衣がありません。そのとき、見知らぬ男が、美しい衣をこわきに抱えて、こちらを見ながら立っていました。天女はびっくりしましたが、勇気を出して、

「その衣は、私のものです。どうぞ、それをお返しください」と頼みました。けれども、舎人は、きれいな羽衣に加えて、美しい天女にまで心を動かし、どうしてもその羽衣を返そうとはしませんでした。

 天女をイメージした昇天像のモニュメントです

 そこで天女は、仕方なく、舎人の言うままに彼の家に行き、舎人の女房になりました。そして、彼女は、東郷池の浅瀬で発見されたので「浅津(あそづ)」と呼ばれながら数年を過ごしました。その間、浅津には二人の女の子が生まれ、姉には「お倉(くら)」妹には「お吉(よし)」という名前をつけました。

東郷池の北側の浅津公園から見た東郷池の景観です。右手奥の高い建物のある場所が「はわい温泉」です

 ところが、妹のお吉が十二歳になったとき、母親の浅津は、夫の舎人が近くにいないのを見計らって、二人の娘をそっと呼びました。そして、「あなたたち、お父様が私に何か隠しているのを知らないかい」と、改まって聴きました。最初は、何も期待する答えは返って来ませんでしたが、母親の浅津があれこれ問い詰めていくうちに、子どもたちはついに言いました。

 「そういえば、お父さんは時々、急にいなくなることがある…」「このあいだも、不に思議に思って捜してみると、お父さんは近くの羽衣(うえ)石山(しやま)に一人で登って、大きな石に腰をかけて、何か考えているらしく、ぼんやりとしていました」

 「こんな所で、いったい何をしているのかと、しばらく様子をうかがっていると、お父さんは、石の下から美しい衣を引っ張り出して、喜んで見ておりました。そして、再びそれを隠して、満足したような顔つきになり、羽衣石山を走って下りて行ってしまいました」

 これを聞いた母親の浅津は、あまりのことに驚きあきれ、しばらくは声もでませんでした。そして大急ぎで、二人の娘を連れて羽衣石山に登り、頂上に近い所にある大石の下から、夫が隠していた羽衣を見つけました。

 そのとき、母親はうれしさのあまり、その羽衣をちょっと肩にはおったところ、身体がふわりと持ち上がりました。そこで母親の浅津は、娘二人を地上に残したまま数メートル舞い上がり、近くの上空を二、三回ゆっくりと旋回したかと思うと、続いて大空高く飛び去ろうとしました。

 二人の姉妹は、こうした様子をあっけにとられて見ていたのですが、やっとわれに返り、「お母ちゃん」「お母ちゃん」と叫びました。しかし、母親の天女は少しも娘たちの方を振り返ってはくれません。

 そこで二人は、羽衣石山の頂上から走って下りて、自分たちの家に飛び込みました。そして、姉のお倉は、常日ごろ母親から教えてもらっていた笛を取り出し、庭に出て、天にも届とばかり強く吹きました。

 妹のお吉も、大きなお椀に魚のフグの皮を張った鼓(つづみ)を出して来て、庭で力いっぱい打ち鳴らし、母親に呼びかけました。こうすれば、母親の浅津は、きっと帰ってきてくれると思ったのでしょう。けれども、母親の浅津は、一度も下界を振り向かないで、西の空の彼方にゆっくりと舞って行きました。

 二人の姉妹は悲しくなって、ついに泣き出し、ますます小さくなっていく母親のあとを慕って走り出しました。しかし、母親の天女は、残念なことに夕暮れの山の向こうにすっかり隠れてしまいました。「ああ、あの山がもしもなかったら、お母ちゃんが見えるのに」

と、姉が言えば、「あの山は、まったくゲドウな(けしからん)山だ」と、妹が答えました。それからその山には「外道山(げどうやま)」という名前がつきました。

 左の山が「外道山」で、右の山が「打吹山」です

 また、二人は、「あっちの高い山に登ったら、お母ちゃんが見えるかもしれない」と相談して、外道山の近くのもう一つ別の山に登ってみました。そして、その山の頂上で、姉は一生懸命に笛を吹き、妹は鼓を壊(こわ)れんばかりに打ち鳴らしましたが、どのようにしても、天女の母親は二度と再び、娘たち二人の所へ帰って来ませんでした。そこで、その山は、二人の姉妹が鼓を打ち、笛を吹いたところから、二つを併せて「打吹山(うつぶきやま)」という名前で呼ぶようになりました。

打吹山は倉吉市のシンボルです。手前は倉吉市営陸上競技場です

 その後、二人の姉妹は、母を失った悲しみのあまり、父の舎人のいる家にも帰らないで、そのまま母の天女に恋い焦(こ)がれながら、楽器を演奏した打吹山のふもとの村に住みついて、一生を終えたと伝えています。この打吹山は、今でも倉吉市に美しい山容を見せていますが、その「倉吉」は、母を失った二人の姉妹、お倉とお吉の名前からついた地名だといわれています。

羽衣天女伝説をもとに、お倉とお吉をイメージした銅像です。倉吉市内に3ヶ所設置されています

〈 追記 〉

この天女伝説は、『伯耆国羽衣天女伝説』(著者 野津龍(とおる))P14~P17から転載しています。写真は現地を訪れて撮影しました