農家民宿 梨楽庵ブログ

打吹山の天女伝説②

梨楽庵

 賀茂神社は京都の上賀茂神社の分霊をおまつりしています

 現在、倉吉市葵(あおい)町の賀茂神社の境内に「神坂(かんざか)」という所があります。そこに「清先(きよさき)の井(い)」という井戸がありますが、天女が昇天したときには、この井戸の傍(かたわ)らにちょうど夕顔の花が咲いていました。

 垣根などを作って、白(しら)木綿(ゆう)を結いまわし、それに夕顔の長い蔓(つる)をはわせていましたが、一説に天女は、この夕顔の長い蔓を伝って天上に帰って行ったといわれています。そこで、この井戸を別に「夕顔の井戸」と呼ぶようになりました。

夕顔の井戸は賀茂神社参道の入り口のすぐ右手にあります

   ご神水がこんこんと湧き出ていました

 ところで、目の前で母親に昇天されてしまった子どもたちは、驚いただけでなく、たいへん悲しみました。そして、二人は泣き叫んで、母親のあとを追いかけましたが、羽のない人間にはどうすることもできません。

 そのとき、二人は、母親の天女が平素から音楽を好んでいたことを思い出して、すぐさま鼓(つづみ)と笛(ふえ)を取りに行って、近くの小高い山に駆け登りました。そして、そこで一人は鼓を力いっぱい打ち鳴らし、もう一人はその笛を力いっぱい吹き鳴らして、母親の天女を呼び戻そうとしました。

 けれども、二人の鳴らす楽(がく)の音(ね)は、母親の天女の耳に聴こえたかどうかはわかりません。天女は、娘たち二人を地上に残したまま、振り向きもしないで大空高くゆっくりと飛んでいき、二度と再び娘たちの所に帰ってきませんでした。

 この二人の子どもたちが鼓を打ち、笛を吹き鳴らした山には、そのときから、そのいわれによって、「打吹山(うつぶきやま)」という名前がつきました。ところで、子どもたち二人が音楽を奏(かな)でたのは「打吹山」ですが、その音楽を演奏するために、鼓や笛を最初に持ち出して並べたのが「打吹山」のふもとの「神坂(かんざか)」であったという説もあります。

打吹山(標高204m)は倉吉市のランドマークです

 また、天女が天界から降臨した場所は、東伯郡湯梨浜町羽衣石の「羽衣(うえし)石山(やま)」ですが、そのとき天女が「天(あま)の羽衣(はごろも)」を脱ぎおいた大岩は、今でもこの山の山頂近くにあり、その石を「羽衣(はごろも)石(いし)」あるいは「天(てん)妃(ぴ)の影(よう)向(ごう)石(いし)」(注1)と言っています。

 そして、不思議なことに、この「羽衣(はごろも)石(いし)」の傍らの石の上には、小さな天女の足跡が一つ、あたかも天女の忘れ形見のように残っています。

 また、この「羽衣(はごろも)石(いし)」に背中をくっつけるような形で現在、小さな祠(ほこら)が祀(まつ)られています。この祠(ほこら)は、「羽衣(はごろも)姫(ひめの)大神(おおかみ)」を祀(まつ)る「羽衣(はごろも)神社」ですが、この山に「羽衣(はごろも)石(いし)」があることによって山名を「羽衣(うえ)石山(しやま)」、そのふもとの集落を「羽衣(うえ)石(し)」というようになりました。(注2)

    羽衣神社は小さな祠(ほこら)です

 また、一説に、天女が降臨した場所は、倉吉市葵(あおい)町の賀茂神社境内(けいだい)の「夕顔の井戸」で、ここに天女が民家の婦女のようにして羽衣を洗濯し、傍らの石の上に乾かしていたところを、村の男に見つけられてしまったという伝えもあります。

 また、一説に、天女が降臨したのは現在の倉吉市東町の大岳院(だいがくいん)という寺の境内で、そこにある池(羽衣池)の水で水遊びをしていたとも伝えられています。そして、この寺には、天女が羽衣をかけた「羽衣石」が、今でも大切に保管されています。

 それに、天女の羽衣を奪い、ついに夫婦となって二子(にし)をもうけたお方は、羽衣石山に初めて城を築いた南條(なんじょう)氏(し)の太祖(たいそ)(初代)伯耆(ほうき)守(かみ)貞宗(さだむね)であったという伝えもあります。

 天女が夕顔の蔓(つる)に頼って天上に帰ったところから、夫の貞宗は名残を惜しみ、夕顔の花や葉を円形の中にあしらった「夕顔枝丸」を、南條家の家紋に定めたといわれています。

(注1)天(てん)妃(ぴ)の影(よう)向(ごう)石(いし)…天妃とは、中国の沿岸部や台湾、東南アジアを中心に航海や漁業の守護神として信仰を集めている道教の女神のことです。そして、影(よう)向(ごう)石(いし)とは、神様や仏様が一時的に姿を現した場所として信仰される石のことです。

 影(よう)向(ごう)とは、神仏が仮の姿でこの世に現れるという意味です。つまり、天女がこの世に現れた場所を示した石という意味で、石そのものが信仰の対象になりました。

(注2)巨石信仰…自然の巨大な岩や石に神霊が宿ると考え、祭祀の対象とする信仰のことです。日本では建造物としての神社が建てられる以前から、山や岩そのものを神が降り立ち宿る場所として自然崇拝していました。

〈 追記 〉

この天女伝説は、『伯耆国羽衣天女伝説』(著者 野津龍(とおる))P10~P13から転載しています。写真は現地を訪れて撮影しました。