農家民宿 梨楽庵ブログ

童謡『 うみ 』

梨楽庵

  梨楽庵のすぐ裏には大海原が広がっています

 私が子どもの頃は、小学校の音楽の時間や全校集会の時などに、たびたび童謡や唱歌を歌っていた記憶があります。童謡や唱歌はわかりやすい言葉が使われていて、リズムもゆるやかで、覚えやすい旋律が多かったと思います。

 おそらくは、明治の時代に文部省唱歌を作曲した鳥取県出身の岡野貞一さんや田村虎蔵さんたちは、大人も子どもも誰もが歌いやすい曲を作ろうと苦心されたにちがいありません。

 私が20歳代の時、約2年間、米子市内の中学校に勤めていました。下宿でお世話になった、大正生まれのおじいさんとおばあさんは、私をわが子のようにかわいがってくださいました。

 学校から私が帰ってくると、ビデオ録画した朝ドラ“おしん”を毎晩見ながら、3人で楽しい夕食のひと時を過ごしていました。おじいさんは、お酒を飲んで機嫌が良くなると、子どもの頃をなつかしむように『夕焼小焼』を気持ちよさそうに口ずさんでいました。

 私が好きな曲はいくつかあるのですが、旧泊村に生まれたからなのか、『うみ』がお気に入りの一曲です。

  うみはひろいな   おおきいな 

        つきがのぼるし   ひがしずむ

  うみはおおなみ   あおいなみ 

  ゆれてどこまで   つづくやら

  うみにおふねを   うかばせて 

  いってみたいな   よそのくに

    作詞 林柳波  作曲 井上武士

 わが家の裏は、小さな川を渡るとすぐ砂山へと続き、その先には広々とした大海原が広がっていました。その後、川は護岸工事で整備され、対岸には舗装道路が作られ、当時とは様子は一変しています。

 しかし、大海原は昔と変わらず、大波小波や、青い波や白波が浜辺に打ち寄せています。海の歌を小学校で習って以来、海を眺めていると、なぜかこの歌が頭に浮かんでくるようになったのです。

 童謡『うみ』(1941年発表)は、「松原遠く消ゆるところ」で始まる『海』(1913年発表)とは、異なる曲です。『うみ』について調べていると、驚くことを発見しました。実は、この曲の作詞者と作曲者は、二人とも海のない県、群馬県の出身だったのです。作詞の林柳波(りゅうは)は群馬県沼田市の出身、作曲の井上武士(たけし)は群馬県前橋市の出身なのです。

 群馬県は太平洋からも日本海からも遠く、前橋市は、47都道府県の中で海から最も遠い所にある県庁所在地なのです。童謡『うみ』は、二人が初めて海を見たときの感動を表現した歌だと言われています。

  「海なし県」で育った二人だからこそ、海への憧れが人一倍強かったにちがいありません。大人になって初めて海を見たときの感動を、幼い子どもが初めて海を見た時の喜ぶ姿を想像し、作詞作曲したのではないでしょうか。そして、童謡『海』が子どもたちにとっては難解な歌詞だったので、童謡『うみ』では、曲名も歌詞も“ひらがな”にしたのではないでしょうか。

 海は広いな大きいな、という感覚は、四季を通じて多くの愛好者で賑わっているグラウンドゴルフのふるさと公園、「潮風の丘」へ出かけるとはっきりと体感することができます。この丘からの眺望は鳥取県内でも指折りの景勝地だと私は確信しています。

 丘の上から見渡すと、水平線は島根半島から鳥取砂丘の東側につながる岩美町の山陰海岸に向かって緩やかに曲がっています。「地球が丸い」ことを目で見て感じることができるのです。

 西に目をやると、富士山にたとえられる大山(だいせん)を眺めることもできます。子どもの頃から身近にあった海を眺めながら、『うみ』の歌を思い浮かべ、「行ってみたいな、よその国」との思いが高まったことが、その後、社会科の教師となり、時折、外国を旅する遠因になっていたように今では思っています。

 私たち人間は、男女の別なく素敵な人と出会った時は憧れの感情を抱きます。同様に、海や山などの大自然と出合った時にも、人智では計り知ることができない偉大さに魅了されることがあります。

 梨楽庵には大阪や兵庫県から修学旅行生が民泊でやってきます。「梨楽庵のすぐ裏には海があるんですよ」と紹介すると、どの子も驚いて、海との出合いをとても喜んでくれます。海のそばで生まれ育ったことに今はとても感謝しています。

梨楽庵の裏の浜は海水浴場ではありませんが、ご家族で海水浴を楽しむことができます

写真は数年前に「海なし県」の奈良県からお越しになったご家族です。プライベートビーチを満喫されていました