チョイ住み
梨楽庵

フランスのマルセイユ旧港
「チョイ住み」とは、初対面の二人が世界の有名な都市に一週間程度住み、二人の共同生活の様子や地元の人たちとの交流の様子を紹介する旅番組です。2015年からNHKBSプレミアムで不定期に放送されています。
私は、令和5年11月に放映された「チョイ住み in マルセイユ」を忘れることができません。出演者は、当時人気急上昇中だった若手俳優の日向亘さんと戦場カメラマンとして有名な渡部陽一さんでした。
職業も個性も年齢も全く異なる二人がどんな共同生活を送るのか、コマーシャル番組を見て、俄然興味がわいていたからです。場所がフランスの地中海に面した港町「マルセイユ」だったことも興味津々の一因でした。
日向さんは初めての海外旅行で、しかも、スタッフの援助は最小限という設定だったので、初日は戸惑っている様子がありありと画面からも感じられました。フランス語も英語も十分に話せないことが不安感を高めていたようです。
二日目、戦場カメラマンとして30年の実績がある渡部さんが合流します。アパートはマルセイユの旧港のすぐ近くにありました。絶景の港を眺めながら、渡部さんは叫びます。「太陽がいっぱい!」そうなんです。マルセイユはフランスが生んだ世界的な名優、アラン・ドロンの主演映画「太陽がいっぱい」の舞台なのです。
渡部さんがアパートに到着し、緊張の初対面を迎えます。アパートの窓からも絵はがきのような景色が一望できます。日向さんの緊張感がほぐれたのは、渡部さんが得意の手料理を振る舞って夕食を共にした頃からでした。
誰にでも気軽に進んで挨拶を交わす渡部さんとの出会いは、日向さんの行動を変えていきます。日向さんは自らマルセイユの人たちに積極的に声かけをするようになったのです。すると、出会いが新たな出会いを生んで、自信をつけた日向さんの表情は生き生きとしてきたのです。
共同生活はわずか一週間でしたが、年齢も職業も全く異なる初対面の二人の心のバリアは日ごとにとれていきました。「ひゅうちゃん」「ようちゃん」と愛称で呼び合い、お互いをリスペクトしながら会話をしている姿は心温まるものでした。
私が一番印象に残ったのは、若干19歳、デビューしてまだ4年目の日向さんが、俳優としての自信がないことを渡部さんに吐露した場面です。「渡部さん、まだ4年しか俳優をやってないのですが、これから俳優としてやっていけるのでしょうか。俳優の仕事が楽しいことは楽しいのですが、…大丈夫でしょうか。」
渡部さんは、日向さんの顔をしっかりと見つめながら語りかけます。「ひゅうちゃん、大丈夫です。私が若い頃のことです。写真を何枚も何枚も撮影し新聞や雑誌に投稿したのですが、全く採用されないのです。お金も稼げないし、心が折れそうになった私は、カメラマンの師匠に弱音を吐いたのです。
すると師匠は、にっこりと笑いながら、“石の上にも……15年だよ。”……ひゅうちゃん、石の上にも3年じゃないんだよ。石の上にも15年。師匠から頂いたこの言葉のおかげで、僕はまた戦場でシャッターを切ることができるようになったんだ。
ひゅうちゃん、君は俳優の仕事が“楽しい”と言ったよね。楽しかったら続けることができるよ。続けていたら、きっと俳優が何かわかる日が来るよ。」日向さんは渡部さんの言葉をしっかりと心の奥深くで受け止めていました。
サラリーマンではなく、俳優や漫才や落語をはじめ、スポーツや美術や音楽や文筆など、何かを表現する分野の仕事は世の人に認められるには長い修行の時間が不可欠です。だからこそ、いつ結果が得られるのかわからない、無限に続くかもしれない修行の時間に耐えられなくなった人は挫折していくのかもしれません。
石の上にも15年。渡部さんの言葉は、梨づくりを始めて13年の経験値があるにも関わらず、毎年のように梨づくりに悪戦苦闘している私にも、大きな勇気を与えてくれました。
番組を視聴したのは3年前でした。「そうかー、あと、2年。あと2年すると、私にも梨づくりの何かが掴(つか)める時が来るのかもしれないな。よーし、がんばろう」。
今年で梨づくり16年目を迎えます。渡部さんの言葉を頼りに“果樹園の上にも15年”が経過しましたが、いまだに“梨づくりがわかった”という確信は持てません。まだまだ修行が足りないのだと思います。
でも、梨づくりは楽しいです。楽しいから続けることができています。献上梨を育てた梨づくりの名人だった母の域には達することはできないかもしれませんが、私たち夫婦が育てた梨を喜んでくださる人たちの顔を思い浮かべながら、今年も梨づくりに取り組んでいこうと思います。
