農家民宿 梨楽庵ブログ

鳥取城の復元整備事業③

梨楽庵

 擬宝珠(ぎぼし)橋の向こうには、鳥取城の正面玄関にあたる中ノ御門表門が見えます。

 中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)は大手門(正面玄関)

  中ノ御門表門を入って振り返るとこの景観です。

表門を入って右手に見えるのが“渡櫓門”(わたりやぐらもん)です。

 「中ノ御門」は“表門(おもてもん)”と“渡櫓門(わたりやぐらもん)”の2つで構成されています。1621年に創建され、1720年の大火で焼失し、その後再建されましたが、廃城令が出された2年後の、1875年(明治8年)に取り壊されていました。

 “渡櫓門”は石垣の間に築かれた門の上に櫓(やぐら)がある構造をしています。外敵を迎え撃つ機能を備えた防御施設だったのです。復元にあたっては、創建当時の城郭建築の技法を駆使して復元されました。

 報道機関からのインタビューに応じて、鳥取市文化財課の岡垣頼和主任(建築技師)は「100年後に重要文化財になるぐらいの意気込みで復元に取り組みました。市民や観光客の皆さんに本物の江戸時代の建造物を体感してもらえます」と、胸を張って話されていました。

 昨年4月の初めに中の御門の復元工事が完成したニュースを知りながら、農繁期と農家民宿の受け入れが重なり、現地に出かける機会をなかなか見出すことができませんでしたが、5月の初旬の快晴の日に現地を訪ねました。

 擬宝珠橋を渡り、表門を通り抜け、中央部に立ち止まり周囲を見渡しました。表門と渡櫓門と巨大な石垣がここでしか見ることのできない空間を演出しているのです。

 巧みに組み合わされた自然石の石垣と純白の白壁と真っ青な青空を眺めていると、何とも言えない居心地の良さが感じられるのです。自然石と木材と白壁と瓦屋根だけのシンプルな構造物なのに、城郭建築物からは何とも言えない“風格”が感じられるのはなぜでしょうか。

 しばらくの間立ち止まっていると、江戸時代にタイムスリップしたような感覚に陥りました。門扉(もんぴ)が開いていたので開放感がありましたが、閉まっていたら「門前払い」の圧迫感を感じたかもしれません。

 話を新たな観光開発にもどします。鳥取城の復元整備計画では、“太鼓御門(たいこごもん)”と“二の丸三階櫓”の復元が検討されています。完成までにはかなりの時間を要するかもしれませんが、実現できることを切に願っています。

 ヨーロッパなどの古城でもそうですが、歴史的建造物としての“城”は観光の目玉商品であり、絶大な集客力を持っています。奇抜なデザインで博物館や美術館や水族館等を建設しても、一過性のブームで終わってしまうことがよくあります。

 しかし、それ自体が美術品であり文化財でもある城には、何度でも訪れたくなる魅力が凝縮しているのです。(注1)

 赤丸印が中ノ御門です。「鳥取城破損御修覆願図(天和3年、1683)」鳥取県立博物館所蔵

  太鼓御門が完成するのが待ち遠しいですね。

 鳥取城跡は戦国の世から現在までおよそ500年以上にわたる歴史が積み重なっている貴重な空間なのです。3年後の2029年(令和11年)度には現在修復工事中の“仁風閣”(重要文化財)がリニューアルオープンします。

 “砂の美術館”の知名度が高まったことで、鳥取砂丘と相乗効果を発揮し、鳥取砂丘周辺は今後も県内の一大観光地となり続けることでしょう。

 私は、鳥取城の復元整備事業が完成すれば、鳥取市内観光の起爆剤となり、「仁風閣」や「鳥取県立博物館」を含めた「鳥取のお城めぐり」観光は一大ブームとなり、一過性で終わることはなく、永続していくと確信しています。

 鳥取駅周辺の再開発事業の協議も継続中です。駅周辺の再開発が完成し、鳥取城の復元整備が完成すると、昭和の頃と比べると、商店街の活気が失われている「若桜街道商店街」は、駅と城の2か所をつなぐ「歩いて見たくなる商店街」として活気を取り戻すのではないかと夢想しています。いや、この夢想は実現可能だと信じています。

(注1)全国城郭管理者協議会によると、全国の主な約50のお城の一昨年度の入場者数は合計約2080万人で、過去7年間で最多だったようです。訪日外国人観光客の入場者数も伸びているからでしょう。