本陣山ってどんな山?
風景

久松山から見た本陣山(山頂部が太閤ケ平)
「鳥取県の山で知っている山はありますか?」と尋ねたら、ほとんどの人が大山と答えるのではないでしょうか。大山隠岐国立公園の中核をなす山であり、日本百名山の一つでもあるからです。
では、「本陣山って知っていますか?鳥取県にある山なのですが?」と質問しても、鳥取県外の人はほとんど答えられないのではないでしょうか。いや、鳥取県民でも答えに窮するかもしれません。
ただし、県外の人でも歴史に興味のある人なら即答するはずです。「本陣山って、秀吉が鳥取城を兵糧攻めしたときに陣を構えた山のことで、陣を構えた山頂部は太閤(たいこう)ケ(が)平(なる)と呼ばれているんでしょ」完璧です。
本陣山には30年ほど前に一度だけ登山したことがありましたが、ほとんど記憶は薄れていました。今冬は大雪が続き、農作業ができなかったので、ブログの作成に取り組んでいました。特に、山城盛衰記①~⑩をまとめているうちに、本陣山の現地に行ってみたくなったのです。
本陣山は鳥取市内にある山です。鳥取駅から県庁につながる若桜街道を2分ほど走り、旧鳥取市役所前の交差点を右折し、しばらくすると樗谿(おうちだに)入口交差点に突き当たります。そこをまっすぐ進むと、左手に樗谿公園の駐車場があります。ここが登山の起点になります。
本陣山は標高252mの低山なので、“登山してきます”と気負うことなく、往復2時間ほどで半日登山を楽しむことができます。樗谿公園内にある鳥取市歴史博物館(やまびこ館)前の道を進むと鳥取東照宮(旧樗谿神社)の鳥居が見えます。
鳥居をくぐり、右手に見える舗装された道路が登山道です。舗装された道路ですが、一般車両の通行は禁止となっています。しかし、本陣山の登山道は山頂まで舗装道路が続いていて、比較的緩やかな坂道なので、鳥取市民に親しまれている登山道です。
私が本陣山に再挑戦した日は、2月下旬でしたが、ハイキングを楽しむ人たちと何度もすれ違いました。80代の高齢のご夫婦や7,8名でグループハイキングをしている人も見かけました。驚いたことに、ジョギングしながら坂道を駆け下りている人もいました。
本陣山の山頂部は秀吉が本陣を構えた場所であり、国の史跡に指定されています。440年以上前の史跡ですが、土塁や空堀などの遺構が明確に残っていて、往時に思いを馳(は)せることができます。毛利氏本隊が鳥取城の救援のために進軍した場合には、信長自身が出陣することを前提に築かれた本陣だったと言われています。

2月下旬だったので、太閤ケ平には雪が積もっていました

雪の部分が“空堀”で樹木が生えている部分が“土塁”
現在の太閤ケ平は樹木が生い茂り、周囲を見渡すことはできませんが、当時は鳥取城を監視し見渡すために樹木は伐採されていました。今でも太閤ケ平を少し下った道路からは久松山の山頂部を見渡すことができます。

太閤ケ平側から見た久松山の山頂部
久松山の標高は263m、本陣山の標高は252mで、やや低いのですが、不思議なことに本陣山から眺めると、久松山の山頂は眼下に見下ろすように見えるのです。さらには、久松山から雁(かり)金山(がねやま)、そして丸山へと続く鳥取城へとつながる補給路も本陣山からは手に取るように見えるのです。

左が久松山、中央が雁金山、右が丸山、尾根伝いの補給路でした
鳥取城は久松山という急峻な山に築かれた山城であり、容易に攻め落とすことは困難だと判断した秀吉が本陣山の山頂に陣を構え、久松山の周囲約12㎞を包囲した戦略は常人では到底考えつかなかったにちがいありません。
秀吉の兵糧攻めは二度目の城攻めの戦略でした。おそらくは、一度目の城攻めの際に鳥取城周辺の地理的な情報も収集し、もしかしたら、秀吉自身が本陣山の山頂に来て周囲を見渡し戦略を考えたのかもしれません。
鳥取県民としては秀吉による鳥取城の兵糧攻めは負の歴史ですが、兵糧攻めで苦しめられた当時の城内の人々や城主の吉川経家の胸の内にも思いを馳せながら、本陣山に登って、太閤ケ平で自分なりの歴史の夢想に耽(ふけ)ってみてはいかがでしょうか。
