観音院の初夏
風景
観音院は鳥取市にある天台宗の古刹です
参道の両側は、初夏は新緑、秋には紅葉を愛でることができます
庭園は青空を背景に、新緑の季節を迎えていました
抹茶と地元の銘菓でゆっくりと庭園鑑賞ができます
国の名勝の指定を受けている名庭園ですが、平日は参拝者が少ないので、ゆったりとくつろいで庭園美を満喫することができます
庭園の左手はゆるやかな坂道の散歩道となっています
新緑の森の中へ入り込むような感じがします
ここは京都の嵐山でも東山界隈でもありません。鳥取市内です
少人数で参拝されるのがお勧めです。静かな時の流れを味わってください
「山陰地方にある名庭園はどこですか?」と尋ねたら、ほとんどの人が島根県安来市にある「足立美術館」と即答されることでしょう。アメリカの日本庭園専門誌による庭園ランキングで、2003年から22年連続「庭園日本一」に選定されており、TVや雑誌等でもたびたび紹介されているので、知名度は抜群です。
それでは、「観音院(かんのんいん)庭園は山陰のどの都市にありますか?」と問われて、即答できる方は数少ないのではないでしょうか。観音院は鳥取市にある天台宗の古刹です。庭園は藩主の池田光仲が10年をかけて築造されたと言われています。京都にある世界遺産「二条城」の「二の丸庭園」よりも2年早く、昭和12年(1937年)に国の名勝に指定されています。つまり、知る人ぞ知る江戸時代の代表的な名庭なのです。
観音院庭園についてよく知っているような書き方をしましたが、鳥取県に住んでいながら、私自身が観音院庭園の存在を知ったのは40代の後半ごろだと記憶しています。名前くらいは耳にしていたのかもしれませんが、新規採用教師として鳥取市内の中学校に4年間も勤務していながら、当時は一度も訪ねたことがなかったのです。無知とは恐ろしいものです。
昨年の晩秋に観音院へ紅葉見物に出かけました。真っ青な空が広がり、絶好の紅葉狩り日和でした。新緑の季節も絶景鑑賞ができるので、5月の連休前にブログ取材を兼ねて再訪しました。平日だったので、参拝者はわずか3名。私たち夫婦と東京の大学に留学しているフランス人の若い男性でした。
まさか観音院で若い外国人の男性に出会うとは思いませんでした。観音院は名庭園であるにも関わらず、鳥取県民にもまだまだ知られていない場所だからです。
彼は書院の間のテーブル席で抹茶と和菓子をいただいていましたが、縁側にいた私がいろいろと声掛けをすると、もちろん、フランス語ではなく、日本語で、です。私に親近感を感じたのか、私の横に座って来て、ひと時の会話を楽しむことができました。彼が日本語の熱心な学習者で本当に良かったです。
彼の夢は“外交官”で、鳥取観光は初めてで、“サバク”が第一目的だったようです。“サバク”とは鳥取砂丘のことです。彼の口から“サバク”という言葉が発せられたので、外国の方は鳥取砂丘を砂漠と認識している方がまだまだ多いのだと感じました。
さて、話を本題の観音院にもどします。昨秋と同じく、雲一つない快晴の日だったので、この日の新緑は最高でした。観音院は二間続きの書院の室内からガラス戸を全開して庭園を鑑賞することができます。拝観料は600円ですが、地元の銘菓と抹茶を楽しむことができます。この日は老舗和菓子店「亀甲や(きっこうや)」の銘菓「二十世紀梨」で一服いただきました。
観音院庭園の第一の見所は、書院から庭園を眺めたときの空間の広がりです。広い池の右手奥には樹木を植えない逆扇形の空間を配置しています。書院側から眺めると、池の向こうになだらかな山容が浮かび上がるように計算された造園家の意図が読み取れます。冬になり雪が降り積もると、ここは雪山に姿を変えるのです。
第二の見所は、常緑樹を背景として、庭園の左右にはイロハモミジを配置し、左手は巨木が折り重なるように植林され、右手は横並びに植林し、左右の景観の違いが鑑賞者の目を楽しませる工夫がなされているのです。
第三の見所は、庭に降りて庭園内を散策できることです。左手側が緩やかな坂道の散策路となっていて、両側から降り注ぐモミジの新緑を愛(め)でながら歩くことができるのです。見上げると、若葉のイロハモミジが陽光に照らされて、輝いています。巨木なので、若葉が折り重なって降り注いでくるような感覚に陥ります。
第四の見所は、背後にある源太夫山(げんだゆうさん)を借景として取り入れていることです。第四ではなく、本当はこれが第一の見所なのかもしれません。庭園の背後には遠くの方まで深山が続いています。そして、この日は、山々の後ろには真っ青な青い空が広がっていたのです。
京都には名庭園がたくさんあるのですが、名庭園と呼ばれるポイントの一つが借景の取り入れ方ではないでしょうか。天龍寺は嵐山を借景とした名園です。左京区岩倉にある圓通寺は比叡山を借景としています。明治時代の元老山縣有朋の別荘「無鄰菴(むりんあん)」の庭園は、東山を借景として作庭されていて、日本庭園の傑作の一つと言われています。冒頭で紹介した足立美術館も背後の山を借景とした名庭園なのです。
観音院のパンフレットを読むと、観音院の前身は、「雲京山観音寺」であり、寺地は現在の鳥取県庁近くの「栗谷(くりだに)」だったそうです。しかし、鳥取藩が直接管理する“御用地”となったため、寛永16年(1639)頃に、今の「上町」に移り、「観音院」に改称したそうです。替地としてこの場所を選定した造園家の眼力に尊敬の念を抱きます。
私は若いころから京都が大好きで、教職に就いてからも長期休暇を利用しては妻と度々京都巡りをしていました。四季折々の京都通いは20年余り続いたのではないでしょうか。休日も部活指導や授業の準備等で休むことができなかった当時の私にとっては、二泊三日の京都旅行は最高の癒しとなっていたからです。
庭園鑑賞も趣味の一つだった私にとっては、京都の庭園こそが1番と思っていたのです。ところが、令和となって2年後、コロナ感染症が蔓延し、日常が激変しました。海外旅行だけでなく国内旅行さえも控えなければ命が危ない状況となったのです。
もちろん京都通いなどできません。そんな時、フッと心に浮かんだのが、観音院庭園でした。超多忙で京都に行けないときに訪れた観音院に出かけた時の感動が蘇ってきたのです。京都に行けないなら、「そうだ!観音院へ行こう!」
庭園鑑賞の趣味のおかげで少しだけ目が肥えていたのか、久しぶりに対面した観音院庭園は、より一層美しく、素晴らしい庭園に見えたのです。何でこんな素晴らしいものが身近にあるにも関わらず、遠くの京都ばかりに目が行っていたのかなあ…。これもまた、“灯台下暗し” のことわざの通りなんだなあ…。意外なことに、コロナ禍によって私は観音院を再発見したのです。
昨秋に訪れた時、私と同年代と思われるご夫婦が観音院の庭園内を散策していました。あいさつを交わしてから「どちらからいらっしゃいましたか?」と尋ねると「千葉県からです」とのお返事。そんな遠方から、しかも観音院を知っていて来られたのかな、と疑問に思い、さらに「観音院のことよくご存知でしたね?」と問うと、「鳥取に行くと言ったら、観音院、是非、と紹介されたからです」とのお返事でした。
近年、海外や日本国内の有名観光地は、オーバーツーリズムで悩まされています。私が京都通いで夢中になっていた頃も、連休や祝祭日はどこも観光客で溢れかえっていましたが、今はそれ以上の混雑状況のようです。オーバーツーリズムの緩和のためにも、地方への観光客の誘致が叫ばれていますが、目玉となる主要観光地を卒業した人でないとなかなか地方へは足を延ばさないのではないでしょうか。
でも、でも、地方へと観光客を呼び込むためには、そのもの自体が持っている真価を地道にアピールしていくことが大切なのではないかと思います。微力かもしれませんが、私がブログで鳥取発信をしているのは、そんな思いがあるからなのです。「地方」というのは「都や中央」から離れているから価値がないのではないのです。地方にも、“そこにしかない価値”があるのです。
国の内外で激動の時代を迎えた今だからこそ、豊かな“鳥取時間”を過ごして、心身の英気を養っていただけたら最高です。梨楽庵が少しでもお役に立てたら無上の喜びです。梨楽庵から観音院までは直行すると、40分ほどで到着します。鳥取駅前からはタクシーで8分ほどです。鳥取市にお越しの際は、市内観光の旅程に入れていただくと、ご満足いただけると確信しています。
*観音院の借景となっている源太夫山(げんだゆうさん)の名前の由来は、江戸時代に白井源太夫(しらいげんだゆう)という剣豪がいて、月明かりの夜には観音院の東の裏山で尺八をかなでたことから、現在の源太夫山(げんだゆうさん)という名がついたと言われています。