農家民宿 梨楽庵ブログ

鳥取城の城跡めぐり③

梨楽庵

⑪裏御門…二ノ丸に出入りする裏門です。

     石段を登って右手側が二ノ丸になります。

二ノ丸の上からの景観です。左手の石垣の上に三階櫓がありました。

⑫西坂下御門…慶応3年(1867年)に創建されました。昭和50年(1975年)の大風で倒壊破損しましたが、復元されました。

    県立博物館側からの景観です。

西坂下御門を通り抜け、振り返って眺めた景観です。

⑬扇御殿と仁風閣…文久3年(1863年)、11代藩主池田慶栄(よしたか)が17歳で急死し、正室で未亡人となった宝隆院(ほうりゅういん)が参勤交代の緩和策によって江戸から帰国することになりました。12代藩主池田慶徳(よしのり)は宝隆院を慰めるために、扇御殿と庭園を整備しました。その一部が⑭宝隆院庭園として現存しています。そして、扇御殿の跡地に整備されたのが、仁風閣です。

現在、文化財保存修理工事中です。令和11年(2029)度中に再開予定です。

 扇御殿の庭園の一部を活用して造られた宝隆院庭園

⑮鳥取県立博物館…この地は3段の敷地に分かれ、上段には、藩主が参勤交代で不在時の城代の屋敷がありました。中段には藩主の馬を飼育していた厩(うまや)がありました。下段には米蔵が建ち並んでいました。

写真の右側の樹木に囲まれた所が鳥取県立博物館です。

⑯北ノ御門…通用門として利用された門です。門前には宝珠橋という木橋が架かっていました。北ノ御門には警護が目的の番所施設があり、御門を入ると左右には米蔵が設けられていました。

⑮が城代の屋敷 ⑯が北ノ御門 ①が中ノ御門 ⑱が南ノ御門

⑰丸ノ内跡…内堀の城内側は丸ノ内と呼ばれていました。ここには米蔵が建ち並んでいました。

⑱南ノ御門跡…中ノ御門以前の大手門だったと考えられています。明治8年(1875年)に取り壊され、明治22年(1889年)には、南ノ御門の全ての石垣は、学校施設の運動場確保のために撤去されました。

⑲籾蔵跡…安政5年(1858年)、凶作に備えて籾等を備蓄する倉庫として建設されました。現在の県立鳥取西高のグラウンド内にありました。

⑳吉川経家(きっかわつねいえ)公像…秀吉が鳥取城攻めの際の城主でした。吉川経家は忠義ある武将として市民に慕われています。平成5年(1993年)に建てられました。

 桜が開花し、春の行楽シーズンが始まりました。スマホでブログを見ながら鳥取城の城跡めぐりをお楽しみください。

〈 追記 〉

*参考資料…『特別展 鳥取藩32万石』(鳥取県立博物館)『県史31 鳥取県の歴史』(山川出版社)『国指定史跡 日本百名城 鳥取城跡』(鳥取市教育委員会事務局文化財課)『鳥取県謎解き散歩』(新人物文庫)『鳥取城のあゆみ』(鳥取市歴史博物館)『山陰名城叢書 鳥取城』(ハーベスト出版)『平成26年度特別展 鳥取のお殿さま 天下人と歩んだ池田家』(鳥取市歴史博物館)『鳥取城のあゆみ』(鳥取市歴史博物館)