農家民宿 梨楽庵ブログ

大山は何と読むのですか?②

梨楽庵

 あれは3年前の昼時でした。昼食を済ませてからテレビの電源を入れると、吉田類(るい)さんの人気番組、NHK「にっぽん百低山」が放映されていました。今日はどこの山を登っているのかなと思いながら画面をよく見ると、神奈川県の大山(おおやま)だったのです。

 瞬く間に、ヨーロッパツアーの記憶が蘇ってきました。番組は途中からでしたが、大山がどんな山なのか、食い入るように画面を見ながらにわか勉強を始めたのです。

 大山(おおやま)は神奈川県伊勢原(いせはら)市にある標高1,252mの山でした。裾野は太平洋に面していて、低い山ながら急峻なため、水蒸気を含んだ空気が相模湾から流れ込み、山の斜面を上昇する際に雨雲が発生しやすく、大山(おおやま)は“雨降り山”と呼ばれていました。

 大山(おおやま)の山腹には由緒ある「大山阿夫利(あふり)神社」があり、水に関わる神様が祀られていました。“雨降り”が転じて、“阿夫利”となったと言われています。江戸時代には「大山詣(おおやままい)り」が大流行し、江戸をはじめ関東一円から年間20万人もの人が押し寄せたそうです。

 仕事仲間や地域ごとで“講(こう)”という参拝を目的としたグループを作り、集団で大山(おおやま)へ参拝に出かける“大山講(おおやまこう)”が大流行したそうです。なかでも大山講(おおやまこう)の中心的なグループは、江戸の築地市場で働いていた人たちや火消しの人たちが多かったそうです。

 築地市場の人たちは、五穀豊穣と商売繁盛を願って、渇水時には雨乞いを行うために大山へ参拝していました。また、「江戸の華は火事とケンカ」と言われましたが、江戸は何度も大火事に見舞われてきました。なので、今の消防士にあたる仕事をしていた“火消し”の人たちにとっては、雨を降らせてくれる大山(おおやま)は江戸を火事から守ってくれる山として信仰の対象だったのです。

 現在も大山(おおやま)信仰(しんこう)は受け継がれ、年間100万人もの参拝客が関東周辺地域から訪れているそうです。割合低い山なので、山頂までは3時間ほどで登山でき、絶景を堪能することができるようです。ただし、雨降り山なので、登山をしてもあいにくの雨降りという日も多いようです。

 百低山の番組のおかげで、大山(おおやま)が関東地方の人たちにとっては超有名な山であることを知ることができました。番組を視聴して以降、いつか「西日本では大山(だいせん)、関東地方では大山(おおやま)」についてブログ発信しようと思っていましたが、先延ばしになっていました。

 ブログ発信を後押ししたのは、ブラタモリでした。昨年6月下旬と7月上旬にかけて2週連続で「大山」が取り上げられたからです。ブラタモリを視聴し、改めて、大山が関東地方の人たちにとっては知名度の高い信仰の山であることを学びました。富士山ばかりに気を取られ、大山(おおやま)について調べようともしなかった自分が少しだけ恥ずかしくなりました。

 *令和7年7月に「大山(おおやま)」についてブログ発信した一週間後でした。何気なく新聞のTV欄を見ていると、NHK Eテレ「日本の話芸選」で「大山詣(おおやままい)り」の演目で落語を放送するではありませんか。

 午後2時放送開始、初めて聞くお話で、三遊亭兼好師匠の話芸に引き付けられて、30分があっという間でした。ネットで調べてみると、「大山詣り」は古典落語の演目の一つだったのです。

 落語自体は、大山詣りの帰りの道中で起きたハプニングが話の主な内容だったのですが、古典落語の演目に取り上げられるくらいですから、改めて、大山詣りが江戸庶民にとって絶大な人気があったことが想像できました。

ブログの画像は「ブラタモリ」のものです。江戸の人たちにとっては富士山と同様に「大山」は信仰の山だったのです。

この地図には丹沢山は表記されていますが、大山はありません。「にっぽん百低山」を見なければ、大山のことは知らないままに終わっていたかもしれません。

詳しい地図には、大山も阿夫利神社も表記されています。なお、掲載した地図は「旅に出たくなる日本地図」(平成29年2月 帝国書院発行)をもとに作成しています