農家民宿 梨楽庵ブログ

因幡国と伯耆国③

梨楽庵

 

因幡国庁跡から見た因幡三山の一つ「面影山(おもかげやま)」

 平城京や平安京(京都市)の中央政府の政治のやり方を全国一律に行うためには、全国に66カ国あった諸国に、「国司(こくし)」を派遣し、地方の政治を担当させました。「国司」には皇族や都の貴族が任命されました。「国司」が勤務した場所は国庁(こくちょう)または国衙(こくが)と呼ばれました。

 「国司」とは、一般的には「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」の4つの職務を任せられた役人のことです。「守(かみ)」は地方政治の責任者です。「介(すけ)」は守の補佐役です。「掾(じょう)」は事務の責任者です。「目(さかん)」は書記官のことです。この4人を四等官(しとうかん)と言います。

 因幡国に赴任した国司の中で最も有名な人物は大伴家持(おおとものやかもち)です。758年(天平宝字2)6月に国(くに)守(のかみ)として赴任し、翌3年正月元旦に因幡国庁で「新年を寿ぐ歌」を詠みました。「新(あらた)しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」

 大伴家持の歌碑(万葉仮名で刻印されています)

 この歌は『万葉集』最後の歌として知られています。『万葉集』の作歌兼編纂(へんさん)者だった家持は、この歌を最後に歌は一切詠わなくなったと言われています。3年半、の在任中の家持については明確な記録は残っていませんが、『万葉集』20巻の編集に取り組んでいたのではないかと言われています。

 「庁」という地名にも国庁のあった場所だと推定できます

 もう一人は、在原(ありわらの)行平(ゆきひら)です。「立ちわかれ いなばの山の 峰に生(お)ふる松としきかば 今帰り来(こ)む」この歌は『小倉百人一首』に収められている有名な歌です。855年(斉衡(さいこう)2)正月15日、因幡国守に任命された在原行平が京都を出発する時に別れの宴で歌ったと言われています。「いなばの山」は国府町にある稲葉山のことです。

   在原行平の歌碑、背後の山が稲葉山

 現代語に訳すと、「お別れして、因幡国司として赴任する私ですが、因幡国の国庁から見える稲葉山の峰に生えている“松”のように、私の帰りを“待つ”と聞いたならば、今すぐに帰って来ますよ」という意味です。

 “いなば”は“因幡”を意味すると同時に、“往(い)なば”と詠めば“行ってしまったならば”を意味します。“松”と“待つ”と同様に、同音異義語を活用して1語に2つ以上の意味を含ませる“掛詞(かけことば)”の技法が用いられています。

    因幡の国庁跡から見た「稲葉山」

 一方、伯耆国に赴任した国司の中で最も有名な人物は山上憶良(やまのうえのおくら)です。憶良は42歳のとき、遣唐使の一員に選ばれ、2年余り唐に滞在しています。帰国の際に海難に遭遇したため、詳しいことはわかっていません。716年(霊亀2)4月、56歳になった憶良は伯耆国守に任命され、5年ほど勤務しましたが、史料が残されていないので在任中の様子についても不明です。

憶良が赴任した時の国庁は不入岡遺跡の辺りにあったと推定されています

 憶良が詠った和歌の多くは、726年(神亀3)ごろ、66歳の時、筑前(現在の福岡県北部)国守として九州に赴任してから詠まれたものです。実は、727年(神亀4)、大伴旅人(おおとものたびと)が大宰府(福岡県北部)の長官として赴任してきました。

 それ以降、5歳ほど年下の旅人との交流を通して、憶良の作歌活動が旺盛になったと言われています。旅人は家持の父です。家持の歌は、憶良の影響を受けていると言われています。

 憶良の歌で最も有名なのが、教科書でも取り上げられている「貧窮問答歌」です。憶良が74歳で亡くなる前年の天平4年(732)、冬頃の作で、問答歌に詠まれた庶民の困窮した生活状況の表現は、伯耆国守と筑前国守時代の経験がもとになっていると言われています。

 問答歌のあとに添えられた和歌も有名です。「世間(よのなか)を憂(う)しと恥(やさ)しと思えども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」この和歌は貧しい庶民の気持ちを代弁しているのですが、貴族の身でありながらも、世の中はなかなか自分の思い通りにはなりません。もしかしたら憶良自身の心の叫びだったのかもしれません。

 〈 追記 〉

 鳥取市は因幡国守として鳥取市国府町に赴任した大伴家持を顕彰すると共に、因幡万葉歴史館の設置を記念して、平成6年(1994)に「大伴家持大賞」を設けて、短歌の全国公募を行っています。

 一方、倉吉市教育委員会は鳥取県歌人会及び山上憶良の会と共に、2011年(平成23)、山上憶良伯耆国守赴任1300年を記念して、「山上憶良短歌賞」を設けて、毎年全国公募を行っています。昨年度は全ての都道府県から応募があり、フランスやオーストラリアなど、海外からも応募があったそうです。

  「大伴家持大賞」も「山上憶良短歌賞」も、今では全国的に知名度が高くなっています。受賞者の中から二人の国守を凌ぐ歌人が誕生するかもしれません。

 伯耆国分寺跡に設置された山上憶良の歌碑と「憶良賞」受賞作品