水木しげるロード②
梨楽庵

水木しげるロードが一躍全国区となったのは、平成22年(2010年)NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」がきっかけでした。「ゲゲゲの女房」は水木しげるさんの妻、武良布枝(むらぬのえ)さんが著した自伝エッセイを原作として制作されました。
いきものがかりの主題歌“ありがとう”の大ヒットと相まって、大人気の朝ドラとなり、「水木しげるロード」には観光客が押し寄せるようになったのです。
何と平成22年度の境港市への観光客の入り込み数は370万人を突破し、前年度の157万人を大幅に超えたのです。この年の4月に米子空港は知名度アップをねらって愛称化され、“米子鬼太郎空港”と呼ばれるようになりました。
令和2年度はコロナ感染症が全国的に広まり、境港市の観光客も激減しましたが、コロナ感染症が5類となり、再び、観光客が押し寄せています。
梨楽庵のある湯梨浜町は、鳥取県のほぼ真ん中にあるのですが、水木しげるロードのある境港市は鳥取県の西の端にあり、車で出かけるにも時間がかかるので、15年ほど前に一度訪れただけでした。
しかし、鳥取県を紹介するためには、足を運んで取材する必要があるので、令和6年のお盆前の平日に出かけました。
午前9時に梨楽庵を出て、境港駅近くの駐車場に到着したのは午前10時30分でした。やはり1時間半はかかるのです。平日で、時間的にもまだ早かったので観光客は少なかったです。
さて、いざ、出発!境港駅前の水木しげるさんのブロンズ像を皮切りに、リニューアルオープンした「水木しげる記念館」までの、およそ800mの商店街をゆっくりと見学しました。

水木しげるロードの車道の両側には、個性豊かなお店が並んでいました。まるで趣向を凝らした「鬼太郎グッズ展示会」のようでした。鬼太郎ファンならお土産に何を買おうか迷ってしまうに違いありません。
水木しげる記念館を見学し、境港駅前に戻ったのは正午頃でした。記念館を出たころから観光客の数も増えていました。
道行く人々を眺めると、ほぼ100%が家族連れでした。鬼太郎漫画に影響された大人たちと、妖怪キャラに魅せられた子どもたちが、家族の思い出づくりの場所として水木しげるロードを選ぶのは必然なのかもしれません。水木しげるさんが生み出した、誰もが親しみを感じる妖怪キャラには、人を引き付ける絶大な魅力があるのです。

平日の午前11時頃の様子です。ゆっくりと見学できました

鬼太郎と目玉おやじが出迎えてくれました

ねずみ男は、なぜか寝そべっていました

水木しげる先生ご夫妻です。素晴らしい笑顔です

妖怪のお箸やさんです。記念にお箸を買いました

昭和の雰囲気が感じられる「かき氷」のお店です

水木しげるロードの終点です。ここから折り返します
二度目の訪問で私が最も印象に残ったのは、“水木しげる記念館”でした。特に、水木シアターで見た短編映画「娘に語るお父さんの戦記」では、戦争の悲惨さと不合理さが見事に表現されていて、改めて平和の大切さを痛感しました。
そして、戦争の渦に巻き込まれながらも、出征先の現地の住民たちと国籍や民族を超えた交流を深めた水木さんの人間性に尊敬の念を抱きました。わずか9分の上映時間でしたが、日本の歴史を学び始める小学校6年生以上の子どもたちには是非とも視聴してほしい映画でした。

リニューアルした「水木しげる記念館」

記念館の中の写真撮影スポットです
境港にはコロナ前から大型のクルーズ船も来航し、山陰地方のインバウンドの拠点となっています。令和6年8月3日には、境港と韓国の「東海(トンヘ)」を結ぶ定期貨客船が再開しました。
「水木しげるロード」は、鳥取県のいち観光地から今や中国地方で最も集客力のある人気観光地へと躍進しています。23体でスタートした妖怪ブロンズ像は、現在は177体に増えています。もうすぐお盆です。水木しげるロードは、きっと多くの帰省客や観光客で賑わうことでしょう。

空の玄関「米子鬼太郎空港」へ立ち寄りました

「よう来てごしなった」は方言です。「よく来てくださいました」という意味です
