老舗和菓子店「京屋菓舗」①
風景

昭和の佇まいが感じられる「京屋菓舗」
裏千家のお家元は、銘菓の条件として、「お茶席で菓銘が話題にのぼると話が広がる和菓子こそ銘菓である」というお話をされています。菓銘とは和菓子の名前のことです。一般的に、短歌や俳句、花鳥風月や地域の歴史や名所に由来して名付けられています。
鳥取市には、昭和8年(1933)、今から93年前に創業した老舗和菓子店「京屋菓舗」があります。京屋菓舗には二枚看板の和菓子があります。その一つが“いなば山”です。鳥取市の山といえば、旧鳥取市内のほぼ全域から眺めることができる「久松山(きゅうしょうざん)」です。なぜ京屋菓舗の菓銘は久松山ではなく、“いなば山”なのか、長い間、疑問でした。

先日、京屋菓舗に直接出かけて質問を投げかけました。対抗して下さったのは、創業者のひ孫にあたるお嬢様でした。彼女はお店で販売担当係をされていました。
初めての来店なのに、最初から菓銘の由来を聞くのは大変失礼なので、自分は“いなば山”のファンであり一度来店したかった旨をお話してから質問しました。
“いなば山”は創業者が生まれた実家の裏山が「稲葉山」だったので、鳥取市内の現在の場所でお店を開いた時に、故郷の山の名を菓銘にされたそうです。稲葉山は平成の大合併前の「岩美郡国府町」にある山です。

因幡国庁跡から望む「稲葉山」
すでにブログで紹介しましたが、奈良時代から平安時代にかけて、旧国府町には、現在の鳥取県庁にあたる因幡国の国庁(こくちょう)が置かれていました。『万葉集』の歌人であり、編纂者である大伴家持(おおとものやかもち)が国司として赴任していたことはあまりにも有名です。
では、菓銘が「稲葉山」という漢字ではなく、“いなば山”とひらがな名付けられているのはなぜでしょうか。この点についてはお嬢様に質問しなかったので、私の推測ですが、次のような理由ではないかと考えています。
実は、平安時代の9世紀の中頃に、因幡国司として在原(ありはらの)行平(ゆきひら)が赴任していました。彼が都を出発するときの別れの宴で歌った歌は『小倉百人一首』に収められている有名な歌です。「立ちわかれ いなばの山の 峰に生(お)える 松としきかば 今帰り来(こ)む」おそらくは、この和歌にちなんで菓銘を“いなば山”とひらがなで名付けたのではないでしょうか。

在原行平の歌碑、背後に見えるのが「稲葉山」
推測を含めた菓銘の由来話が長くなってしまいました。和菓子としての“いなば山”は餡を包む外皮はしっとりとやわらかく、生地にサッと塗られた生姜の風味が味を引き立てています。鳥取市には「生姜せんべい」の文化があります。“いなば山”もその文化に含まれるのではないでようか。“いなば山”は第14回全国菓子博覧会で見事金賞を受賞しています。

( 次号へ続きます )
